まんまるじゃなかった、しろいいし

11月16日、前野健太デビュー6周年記念公演を観る@東京キネマ倶楽部。ステージへと続く階段より登場、ギターを弾きながら階段を降りてバンドメンバーと合流する。バンドでの1曲目は、「love」をアレンジを変えて歌っていた。数年前の音源ではすこし弱々しく聞こえる、「愛なんてただの言葉だろ」って、叫ぶみたいに歌ってた。前野健太の歌は自由で、生きていて、旋律をなくしたって歌になる。バンド演奏が素晴らしくかっこよくて、そのあまりのかっこよさに声を出して一人笑ってしまった。前野健太のユーモアが大大好きだったのを、ライブに来るたび思い出す。「ナヤミ、フアン、サイコ〜」という歌詞、だけの歌、をお客さんとみんなでシンガロング。(ギャグかと思っていたら、アルバムに「悩み、不安、最高!!」という曲が収録されている。) クリスチャン・ディオールのサングラスの歌。マイケル・ジャクソンならぬマエケン・ジャクソン登場(という紹介文があった)の新曲。あのダンス、彼は部屋で一人で練習したんだろな、と思うとぐっとくるね。「友達じゃがまんできない」のバンドメンバーの輪唱コーラス。「ねえ、タクシー」がアルバム発売に先駆けてカラオケで歌えるそうだけど、拍子が取りにくく難しい。なぜ彼は数年前から、一人称をアタシって、女性にして歌うようになったんだろ、と考える。 アンコールのMCで突然、「みんな、死ぬので……それはとても嬉しい。」と話して、前健も、いつか死ぬこと嬉しいのか、と思ってほっとした。アンコールでバンドメンバーと演奏した「ファックミー」では最後にサングラスが外れて、泣きそうな顔してギターを弾いてて、サングラス外した顔は見慣れない男の人だし、人間で、そんな切ない顔して歌ってないでよ。彼は、東京キネマ倶楽部のステージで、チケットSOLD OUTさせてたくさんのファンの前で歌ってて、おもしろいしかっこいいし私にとってほんとにスターみたいだけど、人間らしくてそれがとても好き。
ジム・オルークの演奏が素晴らしかった。非常に失礼であることに、私はジム・オルークについて「平成演歌塾」の動画のイメージしかなかったのだけど、彼がどういう経歴を踏んでどういう素晴らしい音楽を手がけてきたかを、その後説明してもらう。これから喫茶店に行くはずなのに、手には鍵が握りしめられていた。あんな楽しい不思議な時間も、ふいに訪れるものなのだな。

11月23日、池間由布子さんのライブを観る@オルグ。風や木が歌ったら、きっとこんな歌なのだろう、と思った。ウイスキーの薫りのような深みがあって気持ちのよい歌。彼女はきっと鳴らす和音を愛おしく思っているだろう。無造作に髪をかきあげてたのしそうに声。彼女は歌うべくして歌っているんだろう、彼女の人生が歌に凝縮しているのだろう、美しく生きる人が確かにいるのだと、思った。フジワラサトシさんの、声や歌う仕草が人間らしくなってた。
まだ書きたい事はある。わっしょいハウス『必要と十分』のこと。恋人のこと。日々の疲弊した生活のこと。時間の辿り方。何か残さないと生きてなかったことになるんじゃないかっていう強迫観念がある。だって全部忘れてしまう。近頃は映画を観に行きたい。