そこへ行くはずだったのに

毎日死にたいと思っている。駅から家に帰る間あ〜死にたいはやく死んでしまいたいと毎日思っている。そう思わなかった日もあったはずだけど底辺にいる間はどうも思い出せない。そもそも思い通りにいかない日々とか情けない日々、疲れ切って出口のない日々に対して死にたいと思うだけ、具体的な手段や道筋でなくただそれしか思えない逃げの思考が情けないしそれなりの年数を生きてきた人間としてその思考の癖はどうなのかとも思っている。わかっている。今年の七夕の願いは「なるべく早くなるべく自然な形でこの人生を終えられますように」ということにしよう。かなしいけどたまには終わりの形を願うのもよいだろう。ほかはだいたい叶っている。

うじうじと悩んでも寝て忘れるし起きればまた思い出すだけなので、周りに相談しても答えがないことも明らかだし、さっさとその準備をしよう、終活を。顔の見えない相手との未来のための資金を蓄えるよりてめぇの人生をてめぇの金と責任で終えられるように準備と段取りを。資産の整理や遺品の始末、葬式の手配とかエンディングノートを書いておくとか、できれば法的に認められる遺書も準備したい。

と、いうところまで毎度考えて、それを実行するのが面倒でベッドに横たわりながら価値のない時間を過ごして、1日が終わる。それが繰り返す。そこは出ないと明るく振り返ることができない。 生きていることが前提で成り立っているすべてなので、生きていれば、鳥肌が立つほど感動することや心動かされる面白いこともあるけれど、決して生きる理由にはならない。終わりがあることは救いで、終わりのことを考えるとほっとして安心する。

10年ももっと前からもわたしの考え方にはたいして成長がないでしょう。どうしようもないことばっかり書いては公開して。まったく仕方ないですね。勝手にはてなブログに切り替わっていた。

根菜のはなし

あけましておめでとうございます。昨日思い立って筑前煮ときんぴらを作った。料理本を見て材料を買い揃えて、筑前煮にいれるこんにゃくを手で一口大にちぎった。よく写真や説明では目にしていたけれど、恥ずかしながら実際にやったことがなかった。こんにゃくを固定している左手もそれをちぎる右手もこんにゃくがぷるぷるするたびぷるぷるぷるぷる揺れて、しだいに自分の手が自発的に震えているように思えてくる。共振しているようになってくる。すべてを一口大にし終えてもその感覚がいつまでも右手に残って、しかも少し快感すら感じているような気もしてきて、このまま頭がおかしくなっちゃうんじゃないかという気持ちが筑前煮が煮詰まって完成するまで続いた。どちらも美味しくできたので嬉しかった。

いつからそれを始めたか

過去の旅行記が面白いと思ったので転記。
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2015/08/17 22:55
池の水の落ちる音を聞いてる。ときおり蝉が窓にぶつかる音がする。
誰かが私について想っているかどうかをLINEなどの文字・表象に頼ってよいかどうか。ひとりの時間、ぼんやりとしている時間、想いにふける時間が長いほどその人のことをよく思い出してしまう。恋とはエゴであり心の暴走なのだとわかっているのに。所有欲が大きくなく、でもその人のことを想うと舞い上がる気持ち。
近くの露天風呂へ行った。天井は木造で、空も外も見えなかったけれど外気温と、鈴虫の鳴き声がする。何より露天は最高なのだった。最高、至高と思いながら浸かる湯。
温泉に行きいろんな年代の女の裸を見ることは非常に感慨深い。個体差はあれど、一度は通ってきた身体、鏡に映る現在(いま)の身体、いつか訪れるであろう身体。過去を想い来たる未来を想うよ。年を重ねてゆくことは何かを得たり失ったりすることだと漠然と考えていたけれど、もしかして"生まれてから死ぬまで1で有り続けてそれ以上も以下もないのではないか"、何かを失った分何かを得ていて、その逆も然り、増えたり減ったりすると思われたそれは、いつもイコールなのではないか、と思いつき、切なくて泣けてきて湯で顔を洗う。映りゆく水面のように切ない。通りすぎてきた発育途中のウブで曲線のゆるい。母としての。何十年も生きた器としての。裸も恥ずかしくなくなったし、浴場に持って入る白いタオルの扱い方も、数年前と比べるとましになったものだ。
男を知らなかった(知らない)裸ってきっとなんて素敵だろう、と。

リンゴは

2018/11/4, yumbo @ 渋谷7th FLOOR。「みだれた絵」という曲、ボーカルのソロから始まりそこから一気に引き込まれて、こんなに素晴らしい曲だったのかと気付く。「あなたは/対岸のビルに灯る/光る窓/舗道を照らす」ああ なんて美しいんだろうと。
わたしは1年前も同じ日に同じ人たちのライブを見ていた。1ヶ月前にも同じ人が作った音楽を聴いていた。yumboの奏でる音楽、澁谷さんの作る音楽はわたしにとってほんとうに尊くて、何者にも貶められえない。ここしばらく逃げ込むようにずっと聴いている。この日はスピーカーから出てくる音の大きさが(好きすぎるゆえに)アンバランスに思えて、結構残念だった。知り合いを見つけたけれど声を掛けられずに帰る。
家族の誰かが柿が好きだった、おばあちゃんだったか弟だったか思い出せない。この秋は頂き物の柿をいくつも食べていて、柿がおいしいと思えるようになったことは大人になったことのような気がするのは昔わたしはあまり好きじゃなかったんだろう。熟れるとこんなに甘くて美味しい。でも放っておくとすぐに熟れてやわらかすぎてしまって扱いに困ってしまう。そのときは凍らせてシャーベットにするのがおいしい。田舎へ行くとあちらにもこちらにも柿はものすごい数が木になっていてこんなにも豊かなものなのかと驚くけれど、それらのほとんどは渋柿なんだそうだと人から聞く。干せば甘くなるから干し柿にするそうだ。先月実家へ帰った時、裏の洗濯物干し場の柿の木に実が成っているのを見つける、今年から実がつき始めたそうだ。桃栗三年柿八年と云うけれど今年十三回忌だったおじいちゃんがまだいた頃に植えたそうだからもっとかかっているはずだって。やっぱり1本の木にたくさんついていて、食べれそうなのを1つもらってきてりんごと一緒に置いておいたらすぐに熟れて、食べてみたら渋柿でなくて甘くておいしかった。柿が好きだったのはおばあちゃんだったのかもしれない。
季節の変わり目に体調を崩す確率が150%くらいかそれ以上、風邪の症状ではなくただだるくって頭も身体もまったく使い物にならない。なんにもせずどこにも出かけずしばらくの間寝ていれば治るものの、毎回この人間を辞める感じ、一応気にやむので心に悪い。どこにかかればいいのか、どうしたらよくなるのかもわからない。学生のときは確かこんな症状はなかったはずなのになあ、この生活は向いていないのかなあ、じゃあどうすりゃいいのかなあと毎回同じことを考える。今回はぶり返したりして不調の期間が長くて、2週間くらいかけてやっと前と同じステイタスまで戻ってこれた感じがあるけど、どこが戻る場所だった?そもそも今までうまくやっていたと思ってきたことが幻想だった?
果物はりんごが一番好き。店でりんごを買うときは表面の模様を見ていちばんピンときたものを選ぶ。宇宙みたいと思う。手のひらに宇宙があるみたい。

この世に未練がない。満足している。楽しいし辛いし、好きな人たちがいて嫌いな人もいて。気に入ってもらうこともあるし嫌われることもある。負うものもない残すものもない。ただのなんでもない人。元気ですし楽しいこともあります。ただ疲れきっている。

きもちの弔い

花を買うことが大切になっていて、わざわざ家の先の隣の駅まで電車に乗って、見たことない洒落た花を置いているお気に入りの花屋へ行って、その日のサービスブーケを買って、花の名前を聞いて帰る。今日買ったのは、ラナンキュラス、マトリカリア、ナズナ(ペニークレス)、ヘリクリサムシルバー。まだ咲いている白のカーネーションとムギと束ねて飾った。4月14日はオレンジDayなんだそうで、オレンジのラナンキュラスのブーケを選んだ。
会社の近しい人との不和に悩んでおり、それはもうすぐ終結を迎えるんだけど、迎えるのに、家に帰ってきてもまるで恋しているんじゃないかってくらい、その不和についてよく考えている。どうしてもわかりあえないこととか、とけないもしくはとくことのない誤解とか、仕方ないとわかっていてもそうあることにダメージを受けるし良好だったときを思い返すし相手の心情や感情を慮ろうとし同情しようとしている自分もいて、やはりこれはのしあがることや勝負事が苦手だし向いてないなと心底思う。辛いくせ中途半端に相手にも寄り添おうとする姿勢がわたしにはあって、前に、「自分を守ることが大事だよ」と教えてくれた年上の人のことを考える。前に人間関係に悩んだときもそうだった、わたしはこんなに我慢する必要なかったんだ、ってきっと思うんだろう。
また体調を崩して病院にかかって風邪薬をもらって、先生のカルテの日付を覗き見ると前回来たのは前月だった。いずれ来る限界について考えることがある。

強い風

そのとき私は恋をしていて、自分のためだけの日記をインターネットの奥底にしまっているけれど、そこにそのときわたしが放った告白の台詞も書いてあった。すっかり忘れていて、記事をたどっていて思わず「まじかあ」と呟いたけど、その言葉は相手からもらった台詞と同じだったもんでなんか笑ってしまった。恋をするセンスはまったく自信がなくて今も変わらない。一時の幻想や迷いなら早く醒めてくれとさえ未だに思う。 7年前わたしは21歳で、就活中で、そのときは都内にいた。その日一日帰れなくて歩いて友達の家に行って泊まって、次の日電車で帰った。そのときの日記を読み返してもたいそうなことは特に思っていなくて、でもその数日間で見た断片的な光景は、写真を撮っていないのによく覚えている。いくら想像して想いをめぐらせても決して当事者へは届かないけれど、そのとき生きてた人が体感した空気は、それぞれが今も覚えているんじゃないかと思う。
無理がきかなくなってきたと感じている。身体というよりかは、自分に嘘がつけなくなってきた。身体はいいんだ、例えば徹夜とかオールとか、あんまりしないしそうしたいとも思わない。それよりかは、自分が納得いくものにしか時間を遣いたくなくなってきていて、わたしがいてもいなくても同じなような会社の飲み会とか気の進まない集まりとか、終わった後すっごくやるせない気持ちになるようになった。数年前、社会人になりたてのときは、そういうものも通るべき経験だと思えていたし誘ってくれること自体がありがたいことだと思っていたけれど。バンドのライブも、最近それ自体行かないけれど、前なら知らない人たちもなにかいいところがあるかもなと思って見ていただろうけど、今はそれすら叶わなくなっているような気がする。長く生きて、自分の時間の有限性も感じるし、我慢ができなくなってきている。前からそうであった人にとっては、きっとこんなのたいしたことない、当たり前のことだろうけれど、わたしにとってはこの変化は老いである。逆に、そうでない、自分が思っていることをダサいままそのまま言葉にして話せたり、共通の興味を持った人たちと楽しく過ごせる時間があることはありがたいことでもある。
去年の3/18、銀座の恋マルシェで郡上おどり・白鳥おどりという盆踊りに出会ってから、1年経つ。ようやく1年。この1年間は怪物のような年だったと思う。自分が怪物のようだったか、興味の対象が怪物だったか、言い切れないけれど印象としてなんとなく。普段、未来のことは予測したり妄想したりと考えないタチだけど、ここまで、なにか新しいことに入り込む、夢中になるとは、まったく考えなかった。知らない未来に来た。どこに行くか、という目標はやっぱり持っていなくて、ただ圧倒的に「楽しいこと」が目の前にあり、それにずっと魅せられて過ごしてきた1年だった。今まで興味もなく何の評価もしてこなかったものに価値を見出すようになったこと、それに今の自分が意義を感じていることは、自分にとっていいことだし、そう変わった自分にありがたみを感じている。こんなにも変化することがあるんだ、という事実は、これからを生きていくうえで一つの希望とならないだろうか。まだわからない。
他人に対してのハードルが少し下がっただろうか。特に、懇意にしてくれているよく会う数人の友人たちのおかげで。自分はもっと、他者にとっていい存在としてありたいという理想があったものの、そこまで届かない、現在の自分について話すことができるようになった気がしている。理想は高いんだ、生活感のない暮らしがしたいし、欠くところがないような仕事がしたいし、完璧なように見せたいし怒ったり泣いたりしない、浮き沈みのない穏やかないい人でいたい。でも親しい人に対してはそこまで気負わなくていいのかな、わたしも不完全なようにみんなそうなのかな、と思えるようになったのは、自分の今まで生きてきた人生においてかなりの進歩であるように思う。それを実現できることによって、他人に与える印象が変わっていったりするかな、と考えている。
"こんなに消耗して暮らしていかなきゃならないんだろうか"、というのを、ここ最近考えている。一時期と比べれば消化できうる仕事量だし、正直100%の力で日々頑張っているとは言えないけれど、少しずつ、削れていくような感覚。月に1度は体調を崩しながら会社に通って、生きていかないといけないものなんだろうか。目標の無いまま生きることの限界?一日を無事終えられたことをありがたがって、自分を褒め称えてあげないくらいには、疲れを感じる日々。
1/28、七針へ麓健一/澁谷浩次を観に行った。「輝きの向こうから 醜さの向こうから 胸の奥へと走り抜けるもの」声を張ってそう歌う麓さんの歌声や姿がものすごく尊く見えて、見惚れていた。