花の都へ

渋谷にて喫茶店に入る。店の前には咲いた花々。店内には図鑑に載っていそうな精巧な植物の絵。少し酸味が強い、手で淹れた喫茶店のコーヒーの味。窓からは向かいの飲食店や店の前で足を止める人が見える。 喫茶店はいい。最近は、喫茶店で一服しながらコーヒーを飲んでるひとときが生活の中で最も頭が冴えて、一番まともである気がしている。すごく必要な時間。元バイト先の、少し遠くへ引っ越していった友だちから教えてもらった『私のコーヒー・スケッチ』という本がとてもよかった。一般の人から公募した、コーヒーにまつわる話がまとめられている一冊の本。他意のない悪意のない、現代よりみな少しロマンチックに思える、ひとりひとりとコーヒーの話。

「 酒を飲んで、やけっぱちになり、人生を捨てる人はある。しかし、コーヒーはちがう。
  コーヒーを飲んで立ち上るとき、人はきっと人生を肯定している。憩いと蘇生を得て、また歩き出そうとしている。
  長い人生の旅には、そんなひととき、ひとときが必要なように思える。」

前野健太の『ハッピーランチ』レコ発ライブへ行った。ワンマンライブで、3時間くらい歌っていた。アンコールで拍手が起らなくても次の曲を歌い始める。彼はほんとにライブが好きなんだろうな。わざとなのか、ライブ中何度もサングラスを外したり落としたりしていて、表情がよく見えた。やっぱり歌いながら泣いているように見えたり、でもすっごく明るい笑顔で本当に楽しそうに歌っている時もあって、泣き顔と笑顔が1曲の中で混在していて、不思議だけどどちらも奥底から出てくる表情なのだろうなと感じた。バンドではしばらくやらなくなるのだろうか。前野健太とソープランダーズのふざけたコーラスは最高と思う。前半で歌っていた「友達じゃがまんできない」がすごくよかった。この曲を初めて聴いたのはいつだろう、19か20のときだろうか、そのときは何度聴いても『友達じゃがまんできない』という気持ちがわからなかった、でも今はわかる、この曲にその感情を教えてもらって24の私につながっている、恋人同士であっても「友達じゃがまんできない」と思うことがある。
サークルの同期で花見をした。楽しいこと、楽しそうなことはしなきゃいけない、同期みんなに声をかけたら大勢集まってくれて、ドンキで買った広い青のビニールシートが狭く感じるくらいだった。サークルの人達が一所に集まることが私はすごく嬉しい。果たして私は当時そんなにサークルにのめり込んでいたのだっけ、こんなに思い入れがあったっけと思うし、多分そのときはあまり大切にできていなかった気がするけれど、でも今、みんなが散り散りになって、個人同士ではたまに会うことはあるけれどみんなで集まることはあまりない、という中でこういうことを機会に集まってくれることが私は嬉しい。みんなが一堂に会していること、同じ空間にいること、目の前にみんないること、がうれしい。ほんとうは触って確かめたかった。それぞれ話をしていたりしていなかったりしている。 2008年、私が大学に入学した年、ひとつの節目の年。高校生から大学生になって、サークルに入って楽器を始めていろんな音楽を聴くようになって、アルバイトを始めて、授業に出たり出なかったりして、恋をしてたり、自分のことを話せるようになったり。その6年前からの友だち。
人の前で突然ものすごく悲しくなって泣き出してしまったことがあった、きっかけは多分あったけど忘れた、私は「生きるのが悲しいくらいのレベルで悲しい」と言って泣いてた。そんなことがあった。ほんとうはいろいろなことがとてもこわい。こわかったり不安だったりするので、実にたくさんのことを考えないように気付かないようにしてきた。ということに最近やっと気付いた。未来の話をするのが苦手。明日のこと、1週間先や3ヶ月先のことはあれこれ考えているけど、1年後や5年後、10年後20年後の話をしたくない。ずっと前からそうだ、高校生になるまで社会に大学生という身分があることを知らなかった気がする(只無知で馬鹿だっただけか)、こんな業種の会社で働くなんて考えたこともなかったし、想像もしなかった未来にいる。といえばかっこいいけれど、ずっと先の時間を考えられないのはそれまで生きているかが不安だからだ。仕事場の飲み会、遠くの席で社内の女性を女と意識するかというような話をしてるのが聞こえてきてなんとなく嫌な気分になる、そんなの仕事場に持ってこなくていいじゃんって。普段の生活から男と女であることを意識して過ごすのは苦手、というかあまりしていない、そんなことにとらわれるのは面倒くさいと思っている、面倒くさいというより意識していたら自分が気持ちに翻弄されてしまうんだろな、とか。弱い。

PVは『MODELS』のほうがずっと好きだけど、アルバムではこの曲が一番好きで、よく聴いてる。