あの子

知り合いの女の子にライブ会場で久しぶりに会った。声を掛けるとその子はまず「これ、なんだと思います?」と言って青色のペンで描いた片足で立つ鳥の絵を見せてくれる。「…鳥?」としか言えなかったわたしに彼女はもう1枚の絵を見せてくれて、それはアリクイだとわかった。傍らに置いてあったiPhoneで名前を調べて、その鳥が「ハシビロコウ」だと教えてくれる。彼女は上野動物園で、池之端から入ってはじめにそれを見て、「わ、ニセモノがいるー!」とはしゃいだらそれが「ハシビロコウ」だった、という話しをしてくれた。その絵は写真を見て描いたそうで、紙の裏の、記憶を頼りに描いた鳥の絵はクチバシだけがよく似ていて、立ち姿は人間みたいだった。元気ですか、という会話をお互いにして、わたしは最近胃が痛いのだったけど、元気だよと答える。「25歳ですね」と彼女は言う。わたしはもう少しで25になる、と答える。彼女は知り合いに絵を見せに行き、2人目の演奏が始まる。
ライブが終った後、ほとんどの人がすぐにはけた会場で、少し話しをした。その日買ったレコードを見せてくれる。わたしの知らないレコード屋さん。その子のしてるバンドの話し。Youtubeで見かけたよ、という話し。電話番号を教えて、名前の漢字を訊かれる。住んでいる場所の話し。マヘル・シャラル・ハシュ・バズが気になっているという話し。物販でCDを1枚買って、とてもとてもうれしそうにしている。お酒がまだ残っているのでここでさよなら、と言われて入り口のところで別れた。
その子はことばをえらんでえらんで話すので、必要な ことばしか 発さない。本の中に出てくる人みたい。自分がいつも余計なことばかり喋っているようだった。ことばをえらんで話そうとしてみて、口から出る音が削がれてゆく、単語しか無くて中身が無いみたい。「元気です」という彼女はほんとうに元気そう、生きている感じがする。渋谷は余計な言葉ばかりあるのに。独特なことばを持っているのに街で自らを損なっている感じがしない。生きづらそうに感じない。同じ街を、きっと同じような道を歩いて帰るのに彼女はどんな風なことを考えて見て聴いて歩いてくのだろ、と思う。変に長く感じる手足を歩ませて帰る。 夜の渋谷はいつも部屋のように明るい。いつの夜に行っても電灯が明るく空間を照らしている。なにも言えなくなってしまう。
澁谷浩次さん(yumbo)のレコ発へ行った。その日のライブは共演者との舞台が喫煙所という設定で、Spiritual Smoking Area Unity、略してSSAUというバンド名だという。yumboでも演っている曲と、捨て曲・ボツ曲となった楽曲を演奏していた。音楽の理論や仕組みをよく知らない。そういう点の評価はわからない。うまくコメントできないのだけれど、彼の曲は好きと思う。歌う情景は詩のようで、かざりすぎない美しいピアノを弾いて、朗読しているみたいに歌う。キラーチューンの「来たれ、死よ」「さみしい」を、観客は何を想って聴いているのだろう、と客席を見渡す。彼は曲についてよく話してくれるけれど、決して語りすぎない。
ゑでゐ鼓雨磨さんは、澁谷さんとの共演曲だけ声の伸びが断然に違った、自らも言っていたように、緊張していたみたい。明日のバンドでのライブが楽しみ。あじさいの曲が素敵だった。
澁谷さんの「間違いの実」という曲が好き。  「絵筆はキリンの首の発達のように 手近な幸福のエサ場へと伸びていく」

平日は家事する気が起きなくて部屋が散らかっていくばかり。でも土曜日には掃除機をかけたい。白のMacbookはバッテリーが膨らんでダメになってしまって平らな机の上に乗せてもぐらつく。 今週は1週間ずっと体調がよくなくて、体調不良について何の原因も思い浮かばないのに、会社に遅刻してしまう日があった。ものを多く食べると気持ちが悪くて、よく噛まなくても構わないような食事ばかりしている。
書いたのに出せなかった手紙は切手を貼ったまま放ってある。整体に行ってバキバキと鳴らされる管理のゆきとどかない身体を恥ずかしいと思う。何も踏み出さない変わらない自分に、昔言われたひどい言葉をなんとなく思い出してあてはめてその通りである。人に会っても話すことがない。2週間近く音信不通になった恋人のことを考えたり、する。ことばに記せない日々や想い出の記憶が薄くなっていく。かなしいだけではないのだけれど。