「愛せるかもしれない」

"今の時代がいちばんいいよ"って字面を見るたび、このことばを思い出すたび、切なくて泣きたくなる。そう思いたい自分、思えない自分、「必ずしもそうとは言えないんじゃないか」と思わせる世相や環境、それでもそのことばとそれに添うメロディー、その歌があって前健、前野健太がそれを歌っていること。音源やライブで聴いたことのある曲たちだけどこうやってまとまると違って聞こえてくるね。"今の時代"はいつでも聴いている"現在(イマ)"のことで、いま生きている時代の肯定で、いま生きている人、わたしも誰でも含まれていま生きている人間たちの肯定で、宗教とか国とか関係なくて、人間が暮らしていくこと、街が変わってゆくこと、そこの移り変わりやその美しさを彼は歌っているのだ。わたしはその大切なもの(わたしにとって大切なもの)が歌となってかたちになって表れるのがほんとうに尊くてうれしい。(俗っぽくいえば前健大好きですということ。結婚したい。笑 CD聴きながらこれ書きながら号泣なのですが.) (2015.12.7手記の転記)
あとから、彼の歌には未来からいまを眺むる視点を持っていて、"いま"というのはいつかの過去なのかもしれないとも。彼の音楽からは、ひたすらわたしに、ことばがあふれるなあ。

生活のために過去に落としてきたものの存在を、「アレノ」を観て、思い出した。「1年があっという間に過ぎた」と話すのはどうも好きじゃなくて、「妥当な時間をかけて12ヶ月という1年が過ぎた」と考えたいものなのだけど、10月頃からは、あわただしかった。12月になってからは日付に身体が追いついていない感じ、手帳にその日の出来事をいくら詳細に書き込んでも、外出した予定やその日食べたランチや夜飲みに行った店名を書いていてもだめだね、その日々を捉えた気になれない。
年末、というよりもしくはまとまった休みが取れると思えたときから小旅行(できれば温泉)へ思いを馳せ始めるのだけど、行く先は未だ決まらない。26日は人と会う約束があってyumboもマヘルも行けなくて残念だ。