おめでとう

恋人の住む街へ行く。 関東だし今現在も住んでいるし、故郷と呼ぶには大袈裟。でも小さい頃からずっと住んでいる街。よく歩く雑木林みたいな公園や普段の散歩コース、お気に入りの神社。昔行ってた駄菓子屋さんが今もある。だだっぴろく田んぼが広がっている道を自転車で二人乗りして走る。私は二人乗りなんてほとんどしたことなかったけど、恋人は運転が上手い。ぎゅっと背中につかまってると、私も彼も高校生で同じ街に住んでいて、二人乗りで一緒に帰ったことがあるように思えてくる。日が暮れるにつれて寒くなってきて、空気が澄んで、空がきれいなグラデーションになる。山がこんなに近くに見えるなんて知らなかった。公園のあるベンチの前で、ここで小学校の頃初デートしたよ、と教えてもらって小学生の頃の彼と彼女に嫉妬しそうになる。私はずうっと片想いばっかりだったなあ。
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2013年12月31日大晦日、夜まで新宿にいたから、諦めていた前野健太のインストアライブを見る。新曲や、アルバムからの曲。アンコール無しの40分。 
やっぱり前野健太の歌は凄い。歌、ってこんなに力があるんだ、と感動する。新しいアルバムは、前と比べてさらに変わった曲が増えてクセが強くなったな、と思っていたんだけど、『ハッピーランチ』から前野健太を聴くようになった、という子に出会って、思い直す。なぜ彼の歌に「私」という一人称が、女性らしい人格が入ってきたんだろうと疑問に思っていたけれど、インストアライブで歌う姿を見て、ぴんときた、歌うものが変わったね。「ぼく」という一人称で彼が投影されているところもあるけれど、初期の音源と比べればぐんと少なくなった。情景を描写する詞が増える。なんでもないような言葉なのに、それにメロディーがつくと、彼が歌うと、ありありとその風景が頭の中に思い浮かぶのだ。「花と遊ぶ」が歌い出されれば、誰もが自分の見たことのある、校庭と、そこで咲く桜と、サッカーボールのある風景が見えてきているのだと思う。
凄い歌詞だなと思っているのは、「冬の海」の「ちいさい子供二人連れた若い母親 窓の外を眺めてる ぼくにもあんなことあったんだろう」。たぶん、前野健太は兄弟がいたはずだし、母親とああいう風に出かけたこともあったろう、という歌詞なんだろうとは思えるのだけど、彼が歌うと、「ぼく」が体験したことがあるかもしれない「あんなこと」は「子供を連れた若い母親が窓の外を眺めてること」にかかって聞こえて、歌が、性別や時代や時を超えていくようなのだ。
11月のワンマンライブやCDで聴いてもいまいち理解できなかった「ジャングルのともだち」も、新宿で、会場が暗くならないタワーレコードで聴けたことがよかった。ひとつひとつ歌われる店店は、今ここに来るまでに、新宿通りやその横道を歩いて見たことのある、見たかもしれない店で、その現実の風景が浮かんでは消えてくのだった。チェーン店だったりこじんまりとした個人経営の店だったり、行ったことがある店だったり、記憶にとどまることなく通り過ぎた店であったりがひとつずつ歌になっている。そこで楽しげにランチする会社員の一人は自分かもしれない、というような気がしてくる。
「愛はボっき」は実はすばらしいラブソングだし(この曲名は女性には絶対理解できないワンフレーズで、男性にとってはこれってうんうんと頷けることなのだろうか?と気になるので教えてほしいです。歌い出したら男の人何人か吹き出してて、おもしろかった)、「ばかみたい」はこんな恋愛したことなくても「ねえ次会えるのはいつなの」ってとこでどうしても切なくて泣いちゃいそうだし、「TOKYO STATION HOTEL」は「ロマンスカー」や「熱海」や「伊豆の踊り子」みたいに前健が歌にすると行ってみたくなっちゃうし。
こういう気持ちを、私だけじゃなく、彼の曲を聴く人はみんな抱いてしまうんだろなと思う。彼の歌は、今を生きてる人が見ているものや感じる気持ちと重なっているんだろうなと。それを歌えるってすごいことだ。弾き語りのライブがすぐに売り切れたり、この前のワンマンもSOLD OUTで、人気が出てきたんだな〜とは感じてたんだけど、インストアライブで彼が歌い叫ぶのを見てて、この前言ってた武道館のライブも夢じゃないなと思わされた。20世紀少年じゃあないけど、数年後、映画「ライブテープ」のように前健がギターを持って歌い歩いたら、みんなぞろぞろと列をなして大合唱になるんじゃないか、とか映画みたいなこと考えてしまう。
ステージへ出てきたとき、髪がぼさぼさで笑っちゃったけどやっぱりかっこよくて、現代を生きるマイ・ヒーローです。
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帰り道、「あんな夏」の「だって僕はいま生きているんだもの」という歌詞を聴いて自分が今「生きている」ことを思い出す。本当に、すっかり忘れていた。
東京に戻ってきて本配属されて、仕事なのか通勤なのか人間関係なのか何が直接的な原因なのかはわからないんだけど毎月、月の半分以上体調不良の日々が続いていた。12月末には鼻のてっぺんにおできができてしまって、体の中心のデキモノはよくないって何に対して「よくない」のかわからないけどよくなかったのでよくないのだと思ったよ。 口に出して話すとひどく深刻に聞こえてしまうのだけど、毎日疲れきって、本当に、今日より先の未来のことが考えられなかった。未来のことが何も考えられない。考えられる日もあったし、やっぱりおかしかったんだと思う。年末年始の休みに入るまでごまかしごまかしやっていて、休みに入って家でぐったりしていてやっと気付くなんて阿呆だ。トイレの近くの掃除用具入れの扉を開けて箱の中を向いてみじめな気持ちでプリンを食べる夢を見て泣きながら目覚めたりした。元旦の今朝も理由は忘れたけど起きた時泣いていた。まだ気持ちが凝り固まって硬直していて、あんまりうまく考えられないことがある。毎日大して辛いこともないのにつらくて、ゆとりだな〜私は。今年はもっと体力つけたい。日々前進。昨日より今日を素晴らしい日に。
2013年は山本精一の音楽を一番よく聴いた。あとフジワラサトシさんのライブをよく観に行った。2度引越しをした。12月、同い年で友達になれそう、なりたいな、と思う人に会って、連絡先を交換しなかったことが悔やまれる。半年間の西での生活で会社の同期以外一人も友達を作れなくて、私はそういう期間がたまにある、なので自分がそう思えたことが嬉しかったよ。またどこかで会えることを祈っている。 Instagramを見ると誰かが誰かに"いいね!"してるのが見れて、ああ今日も誰かが誰かを祝福している、とうらやましい気持ちになる。でも"いいね!"してもらってもうらやましい気持ちより嬉しい気持ちが勝たなくて、自分は人に対してのありがたみを忘れている。「あなたはやさしいね」って優しさに気付くあなたが、やさしい人なのだよ。 こんなに新年の気持ちを持てない、地続きな年の変わり目は初めて。さみしい。
年末、私に最も元気をくれたもの。ちょうげんきでるよ