愛人の素質

「俺らは笑われ忘れられていく」。この、人に知られそうで知られなさそうなところで飽きもせず、センチメンタルでどうにもならない冗長な文章を書き続けていることは嘲笑われる対象であることを忘れてはならないと思った。絶対に、誰かは私を嘲っているのだ。当たり前のことを忘れちゃいけない。決して動揺しない、悲しまない。ことばにならないことはたくさんあるけど、何も記さない毎日なんて今の私にはありえないのだ。
なにをするでもなくぼーっとしてると愛人の素質について考えているここ数日。わたし愛人の素質とか、二番目の女の才能ありそう。なんとなく。面倒くさくないまま、都合よく好かれそう。片手間でやさしくされて満足しちゃう安い感じ。
本をたくさん読んでて学術的な言葉で論理的に語る人を前にすると、「○○について興味はあるんですけど、頭悪くてよくわかんないんですよね〜」とか言う自分は本当に嫌悪すべきいやらしい存在。負けてる気がするの。だから自ら降参の白い旗を振って馬鹿なふりをする。コンプレックスでさ。
バイト終わりで帰る電車の中で、たまに、3ヶ月に1回くらい、ハイパー人間愛しいタイムみたいな瞬間がくるのね。周りにいる知らない人達がみんな愛すべき存在に見えてくる、無差別に。キリストが宿った感じ?どんなくだらない会話してても「まぁそれが、いいのよねぇ」みたいな気持ちで。普段電車内で聞く他人の会話はくだらねぇなあと思ってるんだけど。最近気付いたのは、私、口には出したことのない、人にも言われたことのないような罵詈雑言も頭の中で思ってるよなあって。みんなそんなもんかね。悪意とか故意とか思惑ってどこに見えるんだろう。周りの人は、そういう不満や悪口と好意をどうやって同居させてるのかなって不思議でならない。愛しいタイムは、家に着く前にどこかで終わってる。こういう、つかれて、すべて愛せそうで誰も愛せないとき、まんいんでんしゃ、ぬくい他人、とメモした。