月光のつくる陰が好きです

 高校生の頃は、「仕方ない」という言葉が死ぬほど嫌いだった。同じ部活の男の子にメールで、何かどうしようもなかったことについて「仕方ない」と説明されて本気で怒った。何について諭されたのかは覚えていないけれど、その憤慨した、許せないと思った気持ちの感触は今でも覚えている。 今は、「仕方ない」ことにも抗わなくなったし、抗えなくなった。「仕方ない」という言葉はすべてを解決する。満足できないものはすべて「仕方ない」から。この語感はやるせなさを持つ。/人に言えないような気の抜けた生活を送っている。恥ずかしいし情けないから、誰かに話せる話もないから、他人に迷惑かけたくないから、できるだけ誰とも会わずに一人で過ごしたい。今までならそのまま実行していただろうけれど、今は、手放したくないものがあるので、そうもいきません。これはきっと執着って云うのだろう。/諦めることに慣れようと決意して、ずっとやってきた。本気で頑張ったことなんて一度も無い。執着を捨てようとしていながら「仕方ない」に怒ってるなんて、過去の私は矛盾していた。全力で何か目標に向かって努力する人は、きっとみっともないけれどめちゃくちゃかっこいい。「やればできるよ」と言い続けてくれた彼は嘘吐きだ、いや、そうやって励ましてくれていたのだけれど、今までやらなかったのだからやってもうまくできなかった。諦めずに努力すべきだってこと、なんで誰も教えてくれなかったんだろう。
 知りたいことがある。会って話したりメールで話したりTwitterでつぶやいたりしないこと。貴方は一日何をしているのか、ご飯は何を食べているのか、朝起きてから出かけるまで何をしてるのか、仕事はどんな風にこなすのか、いつもどんなことを考えているのか、どんなくだらない妄想をするのか、どんな本を読んでいるのか、家族とどんな会話をするのか、将来どんな風に暮らしていきたいか、恋人とどんな風に時間を過ごすのか、愛ってどんなものだと思う。普段話してくれないことを知りたい。周りの、他人の、みんなの。どうやって生きて、生活しているのか。本当はとても知りたい。/しかし実際は、そんなのは全くどうだっていいことだ。その興味が薄れないのが好意だし、それを我慢できないのが前野健太ロマンスカー』の7曲目なんだと、思いました。
 日々生活することは、過去の答え合わせだと思う。私は今まで何をしていたのだろう、と茫然とする。このことにはこういう意味が込められていたんだ、とかあの頃僕らは無知だったなあ、とかなんでもいいのだけれど。現在から過去を眺めると自分の至らなさに絶望するので、未来から眺める現在は今この気持ちと同じ感じなのだろう。って考えるとやっぱりむなしい。私は何もわかってない。
 暑さのせいで普段の3割増で言葉が空回りする。大切な時間を大切に出来ない。外へ出ても何もしない。電車の中でも何もしない。家に帰っても何もしない。暑さと冷房による冷えのせいで寝ても覚めても具合が悪い。ぜーんぶ暑さのせい。
 近頃は、以前と比べて夢をよく見ます。一昨日の晩にはリスが登場しました。何分間も地震に耐え続ける夢も見ました。人を殺さなければならないような強迫感のある夢も何度か見ました。占いは気にするけれど気にしません。都合の悪いことはすべて忘れます。太宰のフォスフォレッセンスは読んでいるこちらが恥ずかしくなるほどロマンティックで夢見がちなお話なので好きです。溶ける魚も文字を追いながら夢を見ているような心地で素敵でした。容赦のない想像力に任せるとふいにこんなにも素晴らしい、美しいフレーズが出てくるのかと感動しました。もっと夢見がよくなれば、私もいつか自動記述ができるようになるかもしれません。
 偽りない言葉で話したいと思います。嘘をつくのは嫌いなくせに、見栄をはるために無意識のうちに小さいウソを重ねます。このウソはどのくらいまでなら許されるのでしょうか。こんなぐだぐだとした文章を晒すくらいなら、何十文字かの間で多くのことを語れるようになりたい。歌人になりたいです。(しかし、まだしばらくは歌人にもなれず目もあてられない思春期もどきのまま変わらない私なので、ウンザリする方はこのへんでこのブログを読むのはやめておきましょう。身のためです。ありがとうございました。さようなら)
 私に愛想を尽かさない人が何処かにいればいいのに。結局このようなみっともない、くだらない、弱っちいところに引っ込んでうじうじとやりたがる人間で、自分でもこんな人間には触れたくもないと思う。いつか見限られ、呆れられて、ほっておかれる。今から少しずつ悲しんでおけばいつかそのときが来ても悲しくないかなァ。まあ近々式日でも観ます。