陽が差す

わたしは さぼりすぎました 文章にすることを。ちゃんと物を書くのは2月ぶりらしい。他の優先したいことを理由にずっと後回しにしてきた。緊張する。
4/25,26にARABAKI ROCK FEST.15に行き、Spitzを観た!ひどく感動した。 (1. 夢追い虫 2. 不死身のビーナス 3. 春の歌 4. チェリー 5. 雪風 (新曲) 6. 運命の人 7. 野生のポルカ 8. 恋する凡人 9. 8823)
夢追い虫」は、大学生の時好きだった人が好きだった歌。「不死身のビーナス」はバンドサークルでコピーして、「名曲だね〜」と言いながら楽しく演奏してたのをわたしにしては珍しくよく覚えてて、カリスマみたいなギタリストの先輩を思い出してた。まさか今ここで聴けるとは思っていなくて、はじけそうに涙が出そうに嬉しかった。「春の歌」か「正夢」が聴けるんじゃないかとなんとなく思ってて友達に話してて、サビが終わった間奏の時に「当たったね」と囁いてくれる。たぶんここでもわたしは涙目だった。
「チェリー」が聴けたこと。わたしがスピッツにこんなにも感動してるのはこれが理由。もちろんすばらしく有名な曲を生で聴けたというミーハーな理由でもそうなんだけどそれだけじゃない。今までわたしにとって「チェリー」はなにかのテーマソングになってた。カラオケで誰もが歌える曲。誰もが知ってるラブソング。有名なもの。概念みたいなもの。絶対的なもの。揺るがないもの。でもそれが生身のスピッツの4人の演奏を聴けたことで変わって、もっとわたし自身に近いものになった。歌われてることばにちゃんと意味や意図があって、きっと作詞した草野さんのパーソナルな想いがあって。音源で聴いてたのとちょっと違うクセのある歌い方をしていて、軽やかなドラムとかすごい激しいパフォーマンスをするベーシストや、音源のようにかっこいいギターソロがあったり。「愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ」って歌詞もいまの生活ではリアリティーを感じない歌詞だけど、すごく切実に聞こえてほんとうに涙が出てくる。うまく言えない、伝わりそうな言葉が使えないことが悔しい。わたしの中で存在の仕方が変わった。最新の曲はよく知らなかったのだけどいままでよくスピッツを聴いてきてたことに気付いたし、好きだった、大切だったことがわかった。「ハヤブサ」のアルバムを一番よく聴いてるので最後に「8823」が聴けたのも嬉しかった。スピッツは、小さい頃母が乗ってた青い軽自動車で、たぶんカセットテープでなにかのアルバムかベストを流してて、大学生になってちゃんと音源を聴き始めたときにすこし懐かしい想いがした。難しかったけど何曲かバンドでコピーして楽しかった。顧みてなかった過去を拾い上げられたような気がした。
友達に誘われて行くことにしたARABAKI ROCK FEST。フェスに行くのは初めてで、どんなもんかと思っていたのだけど、楽しかった。友人がFacebookにあげるFUJI ROCK FESの写真等を見てみんながみんな同じような格好しやがって、と思ってたけど、アウトドアな格好が求められるのだから仕方ないのだった。わたしもちゃんとその1人になっていた。つばの広い帽子を買い、レインウェアを買い、懐中電灯を買った。Tシャツを着て、ハーフパンツとレギンスを履いてサングラスをしてた。ビールを買いたくさん飲んだ。屋台で食べ物を買ったし友人と楽しそうな写真を撮った。知らないアーティストのライブも見てみた。フィッシュマンズサニーデイ・サービスが、今(ほぼ)オリジナル・メンバーで見られるなんて変なの〜と思いながら聴いてた。サンボマスターを見に行ったら前のほうまで押されて行ってしまい、ライブに「参戦」してた高校生の頃を思い出した。寝ている途中にふと目覚めて、山の静かさと寒さに心から「帰りたい…(でもいま絶対帰れない)」と思ったこと。朝の太陽の日差しの暖かさとありがたさ。なんでもないことたくさん喋りながら歩いたこと。日が照らす中歩きながら食べたかき氷(いちご果肉+練乳がけ)のうまかったこと。サングラスをかけて前野健太みたい/タモリみたいと言われて結構嬉しかったこと。寒い中ウルトラライトダウンを着て食べるネギ塩ラーメンが染みたこと。きっと今だからやっと楽しめたんだろうな。また行けたらいいなと思っています。
2月から5月まで、冬が春になって、桜が咲いて散って、花がたくさん咲くようになって、新年度になって、GWになるまで、こうやってしっかりと振り返る機会を持たなかったからか、あっという間に過ぎていった気がしている。「あっという間」という言葉は全然好きじゃなくて、そこには1日24時間があり、1週間は7日あり、1ヶ月は4週間、30日か31日あるんだよ、といつも思っているんだけど、そうだった。2月は初めてスノーボードをして、山頂まで行って恐くてゴーグルの中でちょっと泣いたり、でも結構滑れるようになって嬉しかったり、翌日から史上最高の筋肉痛を経験した。出張についていって大きな仕事の終わりを見届けて、はりつめてたのか体調的に辛くなりダメになり寝込んだりもした。3月は月の後半に突然の異動(担当変更)を告げられ、それはちょっと理不尽で、今もあまりいい思いはしていないのだけどやるしかなく、うまく引き継ぐため今までほったらかしにしてたことをまとめるため、よく仕事をしてた。そのせいで4月の始めは体調を崩し、骨と筋肉を溶かすように眠り、起きては泣き、疲れては眠り、お花見をし損なう。ついこの間にARABAKIに行き楽しい思いをし、休日はひたすらゆっくりと過ごし、新体制になってからなんとか1ヶ月が過ぎた。よく飲みに行くし生活は回せてるけどやっぱり相変わらず、進んでない感じがする。なにかを「好きだ!」って強く想うこと、感動すること、心動かされることが減っていると感じる。もっと好きなことしたらいい。
ニンフォマニアック vol.1,2」を観て、その感想を友人と話し合うのが楽しかった。ジョン・カサヴェテスのオールナイト上映に行って、自身の愛情に振り回されてしまうむずかしくおかしいけど愛しい人たちと、変化と老いを受け入れんとする即興の演劇は本当に素晴らしかった。
ヘリコプターに乗った。貴方にもし機会があったらぜひ一度体験してほしい。飛行機の離着陸のときに見える景色とも、タワーの展望台から見える景色とも違う。午後の光の中を飛びながら、昆虫キッズの「冥王星」を思い出していた。上から見る、人が暮らす街はこんなにも秩序があって・なくて、つつましく、小さくて愛らしく、そのすべてに"陽が差"して、美しかった。手放しで「美しい」と思える街の風景は嬉しく、この視点をずっと持てていたら人生観変わりそうだ。
自分がどんなに大切に想うことでも切実なことでも、他人に話せばあくびされたりよそ見されたりして軽んじられて悲しいことがあるし、それでもわかちあえることもたまにあるとして果敢に他人とのコミュニケーションに挑戦することも必要だけど、わたしの場合はこういう風に文字にして残したりとか、ちゃんと自分でかわいがってあげることもしないといけないなと思います。
いまは一人で生活をする、回していくことが地味でささやかだけれど本当に楽しく、さみしさを感じないようにしている強がりかもしれないしこれだけじゃいけないのかもとも思うけど、わたしは人間として生きること気付くことがやっぱり他の人より遅いみたいで、仕方ない。言い訳かなあ。
時間がかかるのだけどちょっとすっきりした。うれしい。うまくできてないと思うけど うれしいです。