その景色

心の底から、胃の奥底から欲しいと願うものがあり、自分のこれほどまでの執着が気持ち悪い。何が欲しいかというとその景色が欲しい。今しか見られないその花をその色をその景色を、わたしはこの週末にどうしても見たくて見たくて仕方ないのである。来週までも待てないし来年までも待てない。だって花なのだ。欲望をぎしぎしと感じて気持ち悪い。部屋の美しい音楽の中で。絶対に、ネット上の写真程に綺麗でないことを知っている。そこには人が腐るほどいるだろうし、たくさんいたらうるさいだろう。まずそれにうんざりするだろうし、陽が射して暑いだろうし、花も見頃を過ぎて、花弁は落ちて萼が目立ち始めその一面の色にも穴があくだろう。それでもわたしはそこへ行きたい。喉から手が出るほどでなく、胃から手が生えてくるような、その手が絶対に何かを掴みたがって空を握っているような、じりじりとした気持ちなのである。苦しい。
そこへ一緒に行くべき人がわからない。一人で暮らすことは快適だけど、近頃はこのことが多少つらくもある。行きたいと思える場所やしたいことって限界があるのかもと。友達の有無はともかく、"わたしが好きな人"は、一緒にどこかへ行きたいと思える人だと気付く。恋愛が終わった時に、「その人ともっといろんなところへ行きたかったな」と悲しかったことは幾度かあって、それはきっと、わたしがその人をちゃんと好きだったんだろう。(「ちゃんと好き」とかいうの、馬鹿げてるけど。)わたしの母は呆れるほど抜けてるところがありわたしもその血が流れており、気を抜くと本当にひどいんだけど、その阿呆らしさに愛想をつかしてくれない人がいい。
何年も前の昔からわたしは刹那主義的だったけど、3.11以降それが顕著になった気がする。今やりたいことを今しなくていつするの。未来ってあるの。その何年後かにわたしは生きていられるの。本当に?いつ何が起こるかわからない時代じゃない。そんなの昔から当たり前じゃない。いつか訪れる数年後の未来すら未だ信じられずにいる。架空の話さえできない。「今でしょ!」って流行ったのは、そのせいだと思う。