「愛せるかもしれない」

"今の時代がいちばんいいよ"って字面を見るたび、このことばを思い出すたび、切なくて泣きたくなる。そう思いたい自分、思えない自分、「必ずしもそうとは言えないんじゃないか」と思わせる世相や環境、それでもそのことばとそれに添うメロディー、その歌があって前健、前野健太がそれを歌っていること。音源やライブで聴いたことのある曲たちだけどこうやってまとまると違って聞こえてくるね。"今の時代"はいつでも聴いている"現在(イマ)"のことで、いま生きている時代の肯定で、いま生きている人、わたしも誰でも含まれていま生きている人間たちの肯定で、宗教とか国とか関係なくて、人間が暮らしていくこと、街が変わってゆくこと、そこの移り変わりやその美しさを彼は歌っているのだ。わたしはその大切なもの(わたしにとって大切なもの)が歌となってかたちになって表れるのがほんとうに尊くてうれしい。(俗っぽくいえば前健大好きですということ。結婚したい。笑 CD聴きながらこれ書きながら号泣なのですが.) (2015.12.7手記の転記)
あとから、彼の歌には未来からいまを眺むる視点を持っていて、"いま"というのはいつかの過去なのかもしれないとも。彼の音楽からは、ひたすらわたしに、ことばがあふれるなあ。

生活のために過去に落としてきたものの存在を、「アレノ」を観て、思い出した。「1年があっという間に過ぎた」と話すのはどうも好きじゃなくて、「妥当な時間をかけて12ヶ月という1年が過ぎた」と考えたいものなのだけど、10月頃からは、あわただしかった。12月になってからは日付に身体が追いついていない感じ、手帳にその日の出来事をいくら詳細に書き込んでも、外出した予定やその日食べたランチや夜飲みに行った店名を書いていてもだめだね、その日々を捉えた気になれない。
年末、というよりもしくはまとまった休みが取れると思えたときから小旅行(できれば温泉)へ思いを馳せ始めるのだけど、行く先は未だ決まらない。26日は人と会う約束があってyumboもマヘルも行けなくて残念だ。

SHOW

他人に自分のことを話す時間が少なくて、自分のことばかり考え自分と対話して自己分析のようなことばかりしている。
金曜日に、10月からのチーム担当変更と10月の2週間の海外研修を知らされる。異動の2週間前というのは一般的なことだけれど、しかし突然だった。担当変更は、異動先が人が足りていなかったことはわかっていたし、「はぁそうですか」という気持ちと、「また異動だって、ウケる、、」という感想であった。中間面談で上長に話した希望通りの業務内容ではあるけれど、やはり自分は都合のいいコマのように扱われているように思う。何処へいっても使える人間だと思われているのであればありがたいことだけれど。今のチームで半年間やってきたことはなんだったんだろう、とどうしようもないけど思ってしまう、いい経験になったと思え。海外研修については、「どうしよう、英語話せない…」という不安と心配と不安でいっぱいである。情けないけど。フランス語も忘れたぞ。でもこういう機会(追い込まれること)がないと頑張れない人間であることもわかっているので、あと20日間もないけれどその間できるだけ頑張ろう。「もし海外研修まで、あと1カ月しかなかったら?!ビジネス英語4週間集中プログラム」という本と、「出張直前! 一夜漬けのビジネス英会話」というマインド本を買った。非常にわかりやすいしょうもない対策だけど、これをやり切れれば少しの自信にはなるのでは。ということでとりあえず頑張るしかない。やるしかない。異動に向けて、諦めと開き直りとやる気。4月の異動より動揺は少なく、やったるぜ、やるしかないというやる気はある。少しは強くなっただろうか。
シルバーウィーク、連休5日間。9月の連休が5日間連なる年は、次来るのは11年後らしい。
9/21,22はShimokitazawa Indie Fanclub2015へ行った。9/21 1日目は柴田聡子→吉田ヨウヘイgroup→Yogee New Waves→初恋の嵐。9/22 2日目はLucky Tapes→トリプルファイヤー→WE DANCE→oono yuuki band→VIDEO TAPE MUSIC→never young beach。と観て回った。シャムキャッツ、Alfred Beach Sandalは入場規制で見れず。井手健介と母船はどうしても時間が合わず諦めてしまう。
入場規制となっている会場が多く、やりづらさが以前何度か行ったときより増していた。わたしの回り方としても、大きい会場へ行くばかりで小さいハコで演奏してる人達や曲を聴いたことのないアーティストを見にいくことはほとんどなかった。いくらかのアーティストは夏フェスに出演していたり下北沢以外の街のもっと大きい会場でワンマンをやり遂げてしまう集客力がある人たちで、それを小さい会場にあてがって入場規制となってしまうのはもったいないと思う、小さいハコで見られるというメリットはあまり有効でなかったのでは。インディーシーンが大きくなって人気のあるアーティストが増えたのか、一極化が進んでいるのか、未だ認知度が低いアーティストへの配慮(?)が足りなかったのか。入場規制となって見れなくなってしまわないために40分とかもっとの間立ち続け待っていなくてはならないのも疲れるし、新代田FEVERまで何度も往復したりもして、なんだかなあ、見たかったアーティストはほかのイベントでカバーできてしまえることもあり、このイベントをこれからも下北沢でやる意味があるのだろうか、とか考えてしまった。でも開催告知からラインナップ発表からわくわくして、売り切れる前にと事前に2日間通し券を買っていたよ。
ベストアクトはLucky Tapes。数日前に友人から勧められ、せっかくだからライブを観てみようという軽い気持ちで行ったのだけど、めちゃくちゃかっこよかった…、「かっこよすぎて死ぬ!」と(いうよくわからない気持ちを)思ったのは久しぶり。ブラックミュージックを現代のシティーポップにアップデート、というところなのだろうか、今までもこういうことを試みたバンドはあったと思うけれど、それが成功しているのはライブでのグルーヴ感、確かな演奏力だ。あのベースライン、「Get Lucky」のコピーさえ始まって驚いたし、それをただ"コピー"するという形でなく自分たちのライブ(SHOW)の中に、しかもひとつの曲間のつなぎとして落とし込めているので凄い。その場でCDを買い、またライブが見たい!と強く思わせてくれてとーってもよかった。
夏の間音源をよく聴いていて一度ライブを見たい、と思っていたYogee New Wavesとnever young beachも見られて満足。ただ、音源を聴くのでいいかな〜と、ライブ見れてよかった!の半分ずつ、という感じ。それぞれセンスが現代っぽくて好きなのだけど、ライブ力が物足りなかった。半年か1年後くらいにまた観たい。ライブに来ている客層は上の2バンドはじめ人気のある若者のバンドが多いせいか自分より若く思える人たちも多かった。そして彼ら/彼女らはすごくオシャレなのだった、バンドT着てカジュアルな服装してる感じの人が少なかった(ので劣等感を煽られる)。演者含めシティボーイはみんなバケハをかぶっていて、ほんとうにみんなかぶっているので、果たしてシティボーイがバケハをかぶっているのか、バケハがシティーボーイをかぶっているのか?とわからなくなるほど。今夏流行ったバケハやガウチョパンツは1年前それらを身に付けている人なんてほとんどいなかったはずで、トレンドや流行、ニーズが生み出されるというのはこういうことなのか…と感心している。トレンドにならなければ、それらを欲することなんて今まで生きてきてなかったのに。パンケーキもそういう類だと思っている。オシャレメガネをかけている男子も非常に多かった、みんな自分に似合うオシャレメガネの形を見つけ出しているのだからすごい。
oono yuuki bandはもう何年も前から何度も観ているのだけど、期待を超えるライブをしてくれてうれしい。フェス向きのセットリストで、先日のレコ発から再始動し、新しいメンバー構成になってまた少し変わってきた。新曲はRPGのテーマソングみたい、RPGやったことないけど、知らない国の草原とか溪谷のような、自分の想像力を超す広大な景色をありありと見せてくれる、音楽で。
かみぬまゆうたろうさんの歌う初恋の嵐「Untitled」「真夏の夜の事」が素晴らしかった。歌を大切に歌う人だった。PV「Untitled」に出ているメンバーが10数年経っておじさんになってた。時が過ぎているのだ、そしていま彼らにとっては進行形の初恋の嵐なのだった。曽我部さんの歌もさすがだったけれど、譜面台に置いた歌詞を見ながらで、なんとなく、カラオケ感が否めず。
柴田聡子考は一度紙にまとめてから書きたい。できるだけ今書いておきたい、慣れて忘れてしまう前に。凄まじい存在である。
下北沢、中学生や高校生の頃は憧れの街だったけれど、最近はあまり訪れなくなって、住みたいとも思わなくなったなあ、と下北沢ー新代田間を何度も往復しながら考えていた。2日目に突然、道端のキンモクセイの香りに気づいて、前の日にはきっと香ってなかったはずだ。秋の歩み。待ち時間暇だなあ、と思ってB&Bで友人や知り合いが読んでいるといってたミランダ・ジュライの「あなたを選んでくれるもの」を買ってみて読んでたら後ろにいたかわいい女の子に「ミランダ・ジュライですよね?!わたしも読んでます」と声をかけられ、著者についてよく知らないし読み始めたところだし何も返せずそれだけだったけど、すごくうれしかった。

急にさみしさを自覚する。そしてこれってどうすればいいのか全然わからない。週末、いつもカジュアルな格好ばかりするのは女性らしさを出すことが苦手だからだろうと思ってる。仕事服はそれなりにオフィスカジュアルしてるつもりだし、休日は楽したい、というのもある。以前友達がストリートファッションをよく着るようになって、もったいないよ〜と言っていたけどわたしもいま、同じかな。
9/20(日)、バイク東京2015に参加し、約46km、自転車で東京を走った。有明からスタートし両国あたりを通って浅草やスカイツリー付近を通り過ぎ、御茶ノ水や神保町を走り抜け、都庁で休憩し、渋谷をくだり、六本木、東京タワー下をまわり、虎ノ門や銀座を通って有明に帰る。わたしの自転車が2度もパンクし、ゴールの制限時間を少し超えてしまった。普段乗り慣れないロードバイクだったけれど各所それぞれの筋肉痛以外に大きな痛みはない(冬の日帰りスノボよりはおおいにおおいにマシ)。首の後ろが日焼けしちゃった。東京は信号待ちばかりでそれには結構疲れたけれど、それでもとても楽しかった。車にほとんど乗らないわたしは基本電車移動なので、道路をつなぎ走るのは新鮮だった。
5分の2か2分の1くらい、わたしは走った街を知っていた。いつか誰かとなにか用事があって来て、歩いた街。昔の友達と遊びに来たり、一人でライブを見に出かけたり、就職活動で降りた駅だったり、恋人とふらっと歩いたり。あ、この景色見たことある、と思うたび感じるのは東京で過ごした時間の長さだった。大学に入ってから7年、都内(といっても端のほうだけど)に通いだした中高から数えると13年、いまは東京に一人で住んでいて、小学校の時引っ越してきた実家のある埼玉より東京で過ごした時間が圧倒的に長いのだ。こんなに長くここで生きたのだなあと。
歩きスマホが嫌いで、実家から1時間半かけて通ってた頃は通勤中は心の余裕がなく、歩きスマホする人に対してひどく怒り憎んでばかりいた。現在はだいぶマシになったけれど、朝遅刻寸前のときなんかは今も恨めしく思ってしまう。そこでわたしが考え出した心のなだめかたは、「歩きスマホする人はいつか深い穴に落ちる。」と思うこと。人の不幸を祈ってしまうことはよくないとわかっているのだけど。一応、呪いではないと思っているのだけど。深い穴なんてそこらにはまずあいてないし。そう思えば少し怒りがおさまる小さい人間である。もちろん自分が歩きスマホしてるときも「いつか深い穴に落ちるぞ。」と言い聞かせている。
好き勝手書き散らした感ある。

別の世界で


cero『Orphans』 - 歌と物語の力だ。いなかった弟のことを想い、いない姉のことを想う。今までもったことのない気持ちが懐かしい。体験したことのない思い出が切ない。想像することは肯定することだ。別の世界を、いなかった弟や姉のことを、そのクラスメイトの一人のことを。

近所に住む猫のこと。FUJI ROCKへ初めて行ったこと。花火や盆踊りのこと。傷ついている人にやさしくできない心理。

ある旅行の手記(8月)

池の水の落ちる音を聞いてる。ときおり蝉が窓にぶつかる音がする。
誰かが私について想っているかどうかをLINEなどの文字・表象に頼ってよいかどうか。ひとりの時間、ぼんやりとしている時間、想いにふける時間が長いほどその人のことをよく思い出してしまう。恋とはエゴであり心の暴走なのだとわかっているのに。所有欲が大きくなく、でもその人のことを想うと舞い上がる気持ち。
近くの露天風呂へ行った。天井は木造で、空も外も見えなかったけれど外気温と、鈴虫の鳴き声がする。何より露天は最高なのだった。最高、至高、と思いながら浸かる湯。
温泉に行きいろんな年代の女の裸を見ることは非常に感慨深い。個体差はあれど、一度は通ってきた身体、鏡に映る現在(いま)の身体、いつか訪れるであろう身体。過去を想い来たる未来を想うよ。年を重ねてゆくことは何かを得たり失ったりすることだと漠然と考えていたけれど、もしかして”生まれてから死ぬまでで有り続けてそれ以上も以下もないのではないか”、何かを失った分何かを得ていて、その逆も然り、増えたり減ったりすると思われたそれは、いつもイコールなのではないか、と思いつき、切なくて泣けてきて湯で顔を洗う。移りゆく水面のように切ない。通り過ぎてきた発育途中のウブで曲線のゆるい。母としての。何十年も生きた器としての。裸も恥ずかしくなくなったし、浴場に持って入る白いタオルの扱い方も、数年前と比べるとましになったものだ。男を知らなかった(知らない)裸ってきっとなんて素敵だろう、と。
今日食べた馬刺しは東京(のニュー浅草)で食べたそれとはまったく違って、魚の刺身のようにやわらかで、生臭くはないが、獣を、生き物を喰っている気がした。美味いのよ。酒は美寿々(みすず)と積善(せきぜん)。積善は生酒で、生酒はちょっと苦手なのだった。ほろ酔い。いい店の基準(私の)には働く人の感じのよさが入る。いい店だった。
長野のオジさんは険しい顔をしている人が多い気がする(でも優しい)。
今回の旅行にて、私は、自分はツイていると常に思っている、割とハッピーな人間であるということに気が付きました。運って比べようがないし。人生は常によい方へ向かっていると、信じている。
今年の盆踊り運はヤバい。
遂に日本名城100選のスタンプラリーを始める。
武者鎧のおじさんと、いい写真が撮れた。早く自慢したい。
明日もおみやげを買う。諏訪湖ダックツアーへ。おやすみなさい。
原文ママ

生活といううすのろがいなければ

いっつもなぜかよれた居酒屋に入ることが多いのだけど、そんないい感じの居酒屋に入ってほろ酔いでとりとめもなく話をするのがよかった。わたしはすこし甘えている。しっかりし過ぎ、考えて話し過ぎじゃないか、それでわたしが不自由していないかと心配される。たしかにそうだよね〜と頷く。これがわたしの性格なんだと最近は自覚できるようになってきたけど、もっと意図的に他人との距離を縮めることも必要なんじゃないかとは思っている。だからお酒が必要です。
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「NO MUSEUM, NO LIFE? -これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会」@東京国立近代美術館へ行った。この展覧会はパンフレットのデザインがかっこいい。よい意味で今までの展覧会らしくなく、興味を引く。美術館についてA to Zでインデックスを作り作品を並べている。陰翳礼讃展と比べると少々地味であった気がするけれど、考えるきっかけとなる/引き金を引くという点で良かった。
「N」-Nude/裸体のコーナーでは、裸体をモチーフとした絵画/写真/彫刻が1スペース(3方向の壁)にずらりと並べられていて、そこでは隣にキャプションがなかった。絵画を見るときって見る前後に答え合わせのように隣に貼られたキャプションを見遣るけれどそれができないのは、モチーフに重点を置くため作品にあえて匿名性を持たせるということ。萬鉄五郎ピカソもなにげなくその面を構成していて絵画に価値があるほどにそれを勿体振ってしまいそうなところだけど、その思い切りはよかった。果たしてこれはほんとうに、同じ人間の身体を描いたものなんだろうか?なんて。
わたしは国立国際美術館/京都国立近代美術館から出品されるデュシャンを楽しみに向かい、デュシャンの作品はいくら美術館へワクワクして行ってもカタログに乗っている写真となにも変わらないのだけど、それでもやはり、台座に並べられ適切な照明を受け影を作り沈黙して、他の絵画と並んでいるレディメイドは概念として最高なのだった。卒論に奮闘していた過去を想う。美術館の「温湿度計」が陳列されているのもまるでレディメイドであった。
展示空間のところどころには幾つか窓が開いていて、向こう側で展示を眺める人々が枠の中に見える。ときにその窓は額縁に入っていて、あからさまにそれはひとつの絵/写真のようになりうるのだった。非常にわかりやすい装置だけれどだからこそ面白い。現代のビデオ作品に多く人が集まっていたのが印象的だった。口語的でわかりやすいからか。おそらくヴィデオが盛んだった時代の、「植物にアルファベットを教える」様子も最高だった。いつか誰かが動物に言葉を語りかけ躾けることを始めて人間の友のようになったのならば、植物もそうなりうるかも、という可能性に賭ける感じがアツい。よい言葉をかけ続けると植物は元気になる、という噂を聞いたことがあるしいずれ実践してみたい。
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松本は駅から街へ出た途端、あ、空気がきれいだ、と感じて、城と湧水に誇りを持っている、感じのよい街でした。そして何より松本城が素晴らしかった。美しかった。3日間の旅行のうち3日とも城を眺めに行く、という惚れっぷりだった。好きなものを認知する旅であった。お城。湖(水のある場所)。温泉。銘菓。おみやげ。喫茶店。マグカップ。日本酒。
お城は良い。歴女ではないが城は好きで、今回の旅行先の決め手となったのもお城があるからだった。わたしにとって目的地となりうる。城は、どこから見てもかっこいいのが、権力の象徴として威厳があって良い。どこから眺めてもかっこいいのに幾らか払えば中に入ることができ、最上階から権力者が眺めていた見晴らしのよい景色を見渡せるのもよい。天守閣内の急な階段を昇るたび、着物を着ていた昔の人はどうやってこれを登ったんだろう大変そう、と考える。現存木造建築の松本城は、400年も前からそこにあったということで、それを中に入ってみたり外から眺めたりして、歴史というものをより地に足のついた、いつもより身近なものに感じる。という具合。

misery

6.18 やっと抜け出した感ある。この2週間は本当に、ひどかった。ストレスで肺に穴が開き、胃炎になり、不眠症になった。気胸になり、(おそらく食べ過ぎもあって)胃炎になり、夜寝つきが悪くよく眠れなかった。眠れない・途中で目覚めてしまうというのはたぶん今までで初めて体験したのだけれど、ほんとうに辛いことなのですね。朝が来るのも嫌なのに夜が来てうまく眠れないのも嫌になってしまう。中にいるときは本当にどうしたらいいかわからない、この苦しみは永遠に続くような気がする、でもこうやっていつか抜け出せる気もする。歩くのが遅くなって気を抜くと全身が脱力して、声も顔も仕草も気を遣えなくて、仕事もはかどらなくて、気を抜くと惨めで涙ぐんで。何が辛いかというのが少し分かってきたはずだ。未来が描けないのが辛い。未だに、希望通りの配属にならなかったのが辛い。人間関係が不自然で辛い。単純作業を繰り返すばかりで辛い。自分だけ進んでいない気がして辛い。そしてこんなの、いくら信頼してる先輩でも助けてくれるものではなくて、自分で抜け出さなきゃいけないのだきっと。それかいい方向に捉えるか。気が付いたらなかなかにねじ曲がってしまって、ポジティブに捉えるのが難しくなっている。やっぱり、「社会との関わり方」という点では理想の働き方であると思う、どんなに会社内が酷い状態であったとしても。もともと「何がしたい」という展望がないから良くないのだろうけど、どうしていけるか何がしたいのか何ができるのか、よく向き合って考えないと。そして悔しいのでしょう。

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6.22 人には言わないけれど、ぜんぶストレスのせいだと思っている。ストレスの原因は詳細な言葉にして言えないけれど、結局は自分の捉え方や気持ちの問題なんだろうなあ。だって辛くない人もいるはずなのだから。こんなにも塞ぎ込んでしまう原因の感情は把握できたはずなのだけど、未だにどう扱えばいいのかわからない。持っていくべき方向はわかっているつもりだけど、そちらへ持っていけない。甘えなのか弱さなのか。「自分の事を惨めだなあとか可哀想だなとか哀れんでちゃダメだと思うんですよ、悲劇のヒーローとかヒロインみたいな。それって仕事の態度にも出るし人にも伝わるし。周りの人もきっともっと大変な人もいるんだろうしそういう人のことも考えてもっと頑張ろうと思わないと。どうすればいいんですかね?」って話したけど、答えてくれなかった。残念だったな。「診断書でも書いてもらえばいいんじゃない」とか薄笑いしながら言うのでがっかりした。当人とか経験した人にしかわからないのだ、わたしだって、わからなかったし。でも決して馬鹿にしちゃいけないはずだ。なにかビョーキというレッテルを貼られたなら社会での立場が悪くなることってきっと皆感じてるはずだ。なぜ弱い人が犠牲になって、攻撃する人/危害を与える人は反省もせずに図々しく生き続けるのだろう。悔しいなと思います。いくら否定してくれても、自分がそう思っているからどうしても耳に入ってこない。頑固な人です。

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7.XX 胃腸だけが6月を過ぎても治らず、食べ物を食べると「だめです」と胃が言い、痛みのある。

ラブソング

「みなさんと出会えたから…今の時代が一番いいに決まってるじゃんね」 と、かっこよく彼は言ってサングラスを外して大げさに涙を拭ってみせたけど、きっとあれは本当に涙が出たんだろうとわたしは知ってる。カラオケによく行くようになって、歌やことばは聞く以上に、発するときのパワーが大きいと知っている。
7/13 前野健太ソロ・ライブ "宵っぱりの次男坊烏"@青山月見ル君想フ。聴きたかった「SHINJUKU AVENUE」、「今の時代が一番いいね」って歌。そうは思えなくなってきましたよね、と話した後に冒頭の台詞。「ラブソング」というタイトルの、東京へのさよならの歌。「東京2011」「東京の空」「トーキョードリフター」なんて曲たちがあり、東京に憧れ、東京に住み、この都市を歌ってきた彼が東京の真ん中で歌う、東京へのさよならソング。「隣で応援してたかった」なんて。彼が住んでいる新宿のオフィス街は、夏になると一斉にエアコンがかかるから暑くなるんだって。「もう東京には…住めなくなってきたなって思いますよね」と話していた。東京の実家に住み東京を出たいんだと語る友人のことを想った。
SEもなくふっとステージの裾から出てきて歌い始めるまで、なんだか口元がにやにやしてて、それはきっとこれからライブを始める・始まるのが嬉しかったのだろう。冒頭の"動物園の馬のにおい"の新曲から宇宙の外側は氷だから"君が必要なんだ"と叫ぶ歌。歌は変わってきましたね、と話す。TAKASEや文芸坐が登場する池袋が舞台の「モノクロのカレーパン(仮)」。新曲を7曲くらいずうっと歌って、その後歌謡曲のカバーを何曲も。石橋英子作曲で彼が歌詞を書いた「幼い頃、遊んだ海は」、月が出てくる詩を読み、月を歌った昔の曲を。青山月見ル君想フのステージの後ろにでっかく映される満月のその前で、パーマみたいなくせ毛とダンヒルのサングラスと、黒地に緑の葉と赤いハイビスカスが派手にプリントされたイケてるシャツを着てテレキャスを持って「花のように鳥のように」を歌う姿は、なんだかカタギの人じゃあなかった。
自分の曲はほとんどリクエスト制で、「コーヒーブルース」や競馬をモチーフにしたブギウギ、「友達じゃがまんできない」はもっと多くの人に聞かれてほしいラブソングの名曲だし、「海が見た夢」「ヒマだから」「わたしの怒りとは」。
楽譜台に立てたファイルの中を、ある、ある、ない、と探しながら結局歌詞カードはなく、歌い始めた「興味があるの」。突然サングラスを外すとずうっとサングラスの顔を見ていたわたしも露わになるその素顔になんだか恥ずかしかった。そこはひとつのハイライトで、その歌や感情がかたちとなって、手のひらで掴めそうだった。官能的な照明とリバーブを求めて「ファックミー」、最後には自分にあたるライトも消してしゃがみこんで、みんな目前の満月を眺めながら聞いた「ダンス」。
アンコールではサングラスとシャツを着替えて、「カーテンからもれるわたし」、と始まる「プッシーキャット」、「love」、オフマイクで「豆腐」、そして「鴨川」。このときも途中でサングラスを外して、客席に向かって、それぞれの人に視線を一瞬だけあわせてそらすような不器用なコミュニケーションと歌。それでも、新曲やカバー曲を経て歌い始めた、彼が作った彼の歌は、SSWであり自作自演であっても一番饒舌だった。ステージに上がって歌う前野健太は素敵だった。
歌を作るのは芸術療法みたいなもので、塞ぎ込んだときに作るとすっきりして、彼にとっては薬で、たぶんこれからも音楽は続けていくだろう、と。お客さんは、彼のそういう病気に付き合ってくれてるものなんじゃないかと。土曜日に観た麓健一もこれからも音楽は続けていくでしょうと同じことを話していて、病気に付き合ってくれてるなんて言われちゃうとちょっとさみしかったけど、でもそう言われても、わたしはまた彼の音楽を聴きに行くだろう。わたしが前野健太麓健一を聴き始めて好きになったのは二人とも、大学に入った年の2008年、7年も前からで、でもこうやって年に何回かは聴きに行くのだから、わたしはどうしても好きなのだ。わたしも彼等も少しずつ変わっていく。人が作る音楽はその人自身ではないし作品としてあるものだと思っていたのだけど今は、彼等のことが好きで、そうやって愛するものがあるということはわたしにとって希望だ。
7/11はFMおだわら「象の小規模なラジオ」presents“象の小規模な音楽会”へ@阿佐ヶ谷Next Sunday。麓健一は5月に豊田道倫とのツーマンで観た時よりかは安定し、開かれていたように思えた。新曲で鳴らされるコードは非の打ち所がないほどに美しく。「ふさがれた道をどう行けばいいの 知恵を出さなきゃ」というようなことばは他の新曲にもあって、そのような状態にいるのかなと案ずる。"ヘキサゴン"の歌を聴くとわたしは、喫茶店のバイトでケーキの型の底に置く、円形のグラシン紙をたくさん切り取ったことを思い出す。「友達は季節に咲く花。のように違ってきて。考え方が。」と、七針にて漏らしていたそのことばは美しかった。
そのイベントで初めて聴いた河合耕平さんの音楽がとてもよかった。長年温められ育てられてきた年月を感じさせない、気取らないシティー・ポップ。「衛星のしらせ」という曲に一目惚れし、CDを購入して帰った。

10歳かもっと上、の歳の男の人たちが、あるキャラクターに自分を当てはめようとすることについて考える。そのくらい生きた時には、自分の生き方や性質が簡単に変わらないことがいよいよわかって、個人をわかりやすいキャラクターに沈めて他人に認知してもらったり、おどけてみせたりしたくなるんだろうか。そうしないとアイデンティティーが保たれにくくなるのだろうか。わたしにはそれってもったいないことじゃないかと思えるのだけど。
yumboの仙台ワンマンライブは、寸前まで迷っていたのだけれど諦めてしまう。日曜日、20時台のCOCONUT DISKへ行ったらyumboの「かものはし」が店に一人居た店員さんのためにかかっていてうれしくなり、少しだけ話をした。
・アラサーになるにあたり「まっとうに生きていればいつか」という私のタラレバと希望的観測