歌になる

「あんた詩人だろ メロディつけてやるよ」ってプロポーズかと思った。
前野健太のライブ「クール・ヒート」を観に行った@吉祥寺MANDALA-2。雨。30分くらい遅れて行って、最後から2番目の入場。人でいっぱいで人影から姿が見え隠れするくらい。でもよく見えなくても、歌を聴いてるだけで生きてる感じがした、彼が生きている感じがした。
タワー浴場、やさしい旋律の湯たんぽの歌、「古い曲をやります」と昭和6年藤山一郎の酒の歌、「浴場と湯たんぽと酒があれば、冬は大丈夫ですね」と言った。「いまの時代が一番いいね 新しい街でもいいね」「いまの時代が一番懐かしいね 新しい街でもいいね」ってフォークソングみたいな曲。
いままでわたしが生きて、見てきた景色が歌になっている。ピアノを弾きながら「ねぇタクシー」を歌っていて、わたしは終電を乗り過ごして遠い街からタクシーで帰ったときの、窓のキラキラした街の光を、思い出してた。一人の部屋でわかした湯を湯たんぽへ注ぐとき。河原町の橋を渡る鴨川の風景。冬の海。恋人と、一人で、行った熱海。これからも、まだ見たことがないタワー浴場とか、海に降る雪とか、踊り子号とか、夕陽で君の頬が赤く染まるのとか、歌がいま想像させてくれる風景を、目にして歌になってくんだろう。それが、ほんの一瞬だけど、生きてこうかなとわたしに思わせた。
彼のアンコールは終わるようでなかなか終らないのが好き。ほとんど姿が見えない場所でずっと聴いてた。ギターの音がさわれるみたいにくっきりと聞こえる。西島秀俊向井理も結婚したし、わたしの一番結婚したいと思う男は、ずうっと前から前野健太なのだけど、結婚したい芸能人という存在や芸能人に焦がれることについてわたしも考えていた。なんて自分勝手な愛情なのだろう、というのと、ぜんぶ知らないとよく知っていても、ぜんぶを愛せる気がするということ。「女はみんな女だから 俺にとってはみんな女なんだ」って雑にひとくくりにされてすこしうれしかった。