la vie

生きることは繰り返すこと。同じ寝床で目覚め決まった道を通い共に働く人々に会いいつもの飯を食らい同じ寝床に就く。映画『風立ちぬ』の中のリフレインは、それを象徴していた。二郎が長く付き合ってきた人々は時間が移り変わるたびに同じ口癖を繰り返す。本庄の「おい、煙草くれ」であり妹・加代の「にいにいさま!」であり。学生の頃に二郎が執着した"鯖の骨"についての話題を菜穂子が口にするシーンもあった。ああ同じ人間が生きているのだなと思う。
生きることは一度しかないこと。菜穂子の言動にリフレインは殆どない。彼女は突然に二郎と出会い、再会し、別れていく。その一瞬間しかない刹那は眩しく輝いている。軽井沢で再会したとき、「(お父様に会いに)行きましょ」と彼女が二郎に軽く言うのだけど、彼女が口にすると、その軽快な言葉は「生きましょ」にも聞こえてくる。
"Le vent se lève, il faut tenter de vivre."「風立ちぬ、いざ生きめやも。」直訳で、生きることを試みなければならない、じゃあ『なぜ生きねばならないのか?』というのはこの映画を観終えたとき一番疑問に思ったことで、二度観たけれど映画にその答えがはっきりと掲げられているわけではなかった。ただ、繰り返しの毎日の中に"風"が起きて、それが過ぎ去ってしまうとしても、毎日は続いていく、続けなければならない、そう"試みて"いかなければならない、ということなのか。 (宮崎駿がインタビューでこれまでの作品を通して伝えたかったメッセージを問われたとき彼は、「この世は生きるに値するということを子どもたちに伝えたかった」と話したそうだ。)