「小学校からやりなおせ」


家族と瀬戸内国際芸術祭2013へ行った。2010年、3年前にも行ったので覚えている景色があった。瀬戸内海は穏やかで、光が波に反射してきらきらしているから好き。

島ではそこらでキウイがなっていたりする。島は、栄えた街にいるのと比べて鳴っている音が圧倒的に少ない。高知へ行ったときもそうだった(高知では市街地にいてそう感じたのだった)。短い滞在だったけど直島と男木島へ。直島では地中美術館でモネの「睡蓮」シリーズを観る。世界大戦の近い晩年の作品群だからか、知っている「睡蓮」の絵より色彩が暗い。足音も響かない静謐な空間に巨大な絵は圧巻、でも抽象画というのはたいていそうだろうけれど近寄って見ると何が描かれているのかさっぱりわからない。でも近寄らないと絵画は描けないわけで、筆を動かしているときモネは自分が何を描いているのか見失うことはなかったのだろうか?
前回来た時に一番印象的だった家プロジェクトの「南寺」へも。暗闇に案内されて手探りで座らされ、隣で弟が「なんも見えない、見えない」父が「おっ見えてきた見えてきた」とか騒ぐので申し訳なく、恥ずかしい。何も見えないと思っていたのに少しずつ見えてくる。眼鏡をはずしてもぼんやりとその光は見える。私は自分の視覚に感動する。まだ目が見えるんだ、って馬鹿みたいな感動のしかた。


男木島には昭和40年会の男木小学校へ、どうしても松蔭浩之の「肉体塾『移動に注意を要する教室』」を観たかった。だってこれはまるでデュシャンじゃないか!

卒業論文の「おわりに」に私はこんな文章を書いたのだった。

 デュシャンは後年になって展示会場の内装などを手がけるようになるが、そこでも物体が吊るされるようになる。1938年に開催された、デュシャンがデザインと企画を手がけた「国際シュルレアリスム展」会場では、火鉢の上に1200個の紙や新聞を詰めた石炭袋を吊るした。また、洞窟風に作られた会場では照明は火鉢のみであり、タブローは暗くて見えず、観客は見るためには懐中電灯を必要とした。 1942年にニューヨークで開催された「第1回ペーパー・オブ・シュルレアリスム」展においては、展示内容にふさわしい挑発的な展示方法をとアンドレ・ブルトンから依頼され、1マイルの糸を会場各室にクモの糸のようにはりめぐらせた。その糸はシャンデリアから暖炉の梁、柱へ幾重にも交差して連ねられ、展示作品の中にはほとんど見えなくなったものもあったという。 1200個もの石炭袋が吊るされた暗い洞窟風の会場やはりめぐらされた糸の間をかいくぐって見て回る展覧会は、観客にとってさぞかし動きにくかったものであろう。第1章において紹介した『旅行用彫刻』も、部屋中にはりめぐらされアトリエを歩き回るのを邪魔する作品であった。
 以上のように、デュシャンはレディ・メイドを吊るしたことから発展させ、物体を吊るすことで幸不幸の概念や身体の動かしにくさなど、人間の心身の「運動」に関わるようになっていく。このことは、1952年に行われた講演「創造的営為」で話すように、芸術家と鑑賞者との関係があってこそ芸術が成り立つと考えたデュシャンの、鑑賞者へのアプローチのひとつだったのではないだろうか。レディ・メイドを吊るすことを「運動」と関連づけてとらえることは、デュシャンの制作により一貫性を与えるものであるといえる。

私の考察もあながち間違っていないのかもしれなかった!と一人興奮。実際に教室の中へ入ってテーブルテニスをしてみると、卓球台の前の空間はある程度身体を動かせるようになっている。後から来た小さい子供が比較的簡単そうに教室を横切っているのを見ると、ゴムがはりめぐらされているのは高い部分で、大人が動きにくいようになっていたのだろう。見た目もカラフルで美しかった。ゴムばかりに気を取られて壁や室内の様子を見逃す。

校長パルコキノシタによる階段への走り書きメモ。

島民の住宅の窓に見つけた。美しさは近くにもある

吊るされた影を見て再びデュシャンを想う、影ってどうして美しいのだろうね

遮光した蔵に展示された栗真由美「記憶のボトル」。美しかった。思い出が質を持って連なって光っているのだった。

父や弟が撮った写真を見せてもらうと、私が見ていないものを写真におさめていて、違って物を見てるんだなと知る。家族揃っての旅行なんて数年ぶりだったしまた近い未来すぐできるものかもわからない。とても楽しかった。3年前はまだ両親との行動を少し疎ましく感じていたことがEvernoteに書き留めてあるので、私も少しは大人になったのだろう。私が年を重ねるのと同じように兄弟や両親も年をとっていく。立派な家族の思い出のひとつになるだろう、と思い出の予感をその最中に感じてしまうことってすごく切ない。

  • -

初任給で特に親孝行していなかったのでお高い美味い牛肉を家族に奢る。ミディアムレアに焼かれたその断面を目にしたときの感動を写真を見て何度もプレイバックしている、繊維が波打っていて表面は脂で艶やかに輝いていて、色は紅潮した頬のような自然な淡い桃色…。