oeufs à la neige

偶然に会った友達と、居酒屋で美味い鮮魚を食べた。本日のお刺身のお造りにのった天然本マグロは普段食べるマグロと口当たりが全く違くてやわらか。お通しのカニも、鍋に入った少しにんにくの香るかきバターも素材の味がして、美味しかった。〆に頼んだ白子ぽんずなどは白子について持っていた漠然としたイメージを超えた美味で、「白子さん、まじリスペクトっす」とか言ってしまっていた。おいしいもの食べてるときやおいしいものについて語るとき、すごくうれしそうな顔してるねって言われることが多い。おいしいものを食べることは幸せに近くなること。「恒常的な幸せに疑いを持ってるから、」ってよくわかんないけどわたしが言ってた。
やわらかな天然本マグロを一切れ食べ、とろけていくような食感に、人から教えてもらったoeufs à la neigeという食べものに思いを馳せる。メレンゲのようにふわふわとしていて(メレンゲとはちょっと違うらしい)、口に入れると雪のように溶けてなくなってしまうのだそうだ。ぜひ食べてみたい、でもすぐになくなってしまうのは はかなくて悲しいから食べないままのほうがいいような気持ちもする。おいしいもの大好きなんだけれど、すぐに、もしくはいつか、なくなってしまうし、そのありがたみをわたしの舌や身体が背負っていけるのだろうか、その感動を他の人ではないわたしがもらってしまってよいのだろうかと戸惑うところもある。
屋内から外へ出て、電車に乗ってるときふと窓の外を見て、そうだ、数日前雪が降ったんだった、って思い出す。数日前、転ばないように歩幅を狭めて、ブーツをびしょびしょに濡らして、下北沢を歩いて、駅から家までも歩いて、帰ったのに、最近は昼も夜も雪のせいでこんなに寒いのに、雪を見るまで忘れている。積もった雪で道路の白線が見えないと、そこがどんな風な道であったか忘れている。雪が溶けてアスファルトがのぞくと、ああここらはこんなに乾いた色だったっけと、思い出す。雪が全部溶けたら、1月に雪が降ったことも忘れてしまうかもしれない。去年の夏が暑かったかどうか、昨冬がどのくらい寒かったか、とかいうのをいつも、忘れてしまう。
川上未映子氏の文章を読むと、わたしもこういう風にすらすらとなにかを言えるはず、と錯覚するし真似したくなるねえ。女についての描写が非常にエグい、エグい、と少々苦しみながら読み進めることがあるけれど男の人は読んでどう思うのかしら。