くらげの瞬き

先日Yahoo!トップページのニュースで北川景子が26歳になったことを知ったけど、「年々感じますが、歳を取ることとは、 だんだん楽になっていくことなのですね。 若さと引き換えに、悩みやストレスが消えていきます。 昔はどうしてあんなに繊細だったのだろう、と自分でも驚くほど 年々、人生を楽しめる性格になっている気がします。」というブログの文面を見てこんなにも残酷になれるものなんだなと思って衝撃的だった。私もあと4年とかしたらこういうこと言ってのけちゃうだろうか。
女友達6人で旅行へ行って、とても楽しかった。2日間の結構な時間を車中で過ごしていたし、早め解散の一泊二日で時間も短かったし、なんかあっという間だったなあ。追いかけてきた台風と一緒にすぐ過ぎ去ってしまった。出発前に記念のポストカードにしてもらうために撮った橋の上での写真も、部屋で窓の外を背にセルフタイマーで撮った写真も、わたしたち6人が並んでるとすっごくいびつな変な感じがするのだった。それぞれ音楽が好きなのと、サークルで一緒に過ごした3年間が、わたしたちをここに並べているのだ。見た目や性格や考え方とか服の好みとか今いる環境とか音楽の趣味もみんなばらばらで、でもそれぞれが、一対一の関係で通じ合うところが少しずつあって、それが作用しあって、だからこうやって楽しいのだった。なんだかすごく不思議な関係だなあと思う。友人の誕生日サプライズは成功して、喜んでる女の子を見てケーキを持ってる私が泣きたくなっていた。私が発案してやることになったプレゼント交換会(小さい頃やったクリスマス会みたいに、音楽が終わるまでプレゼントを回してくやつ!プレゼントは1000円以内!)もなかなかの盛り上がりをみせた。帰りの渋滞の車内でやった、ごきげんようのサイコロみたいにiPadによって指定された「○○○の話」を一人ずつしていくのが、普通なんだけどとても楽しかった。また行きたいねえ。
内定式を終えた。自分と関係のある距離で「世界人」という言葉を説得力をもって話す人には初めてお会いして、緊張した。これは、私の人生においての、私の人生の一部をかけた、実験なのである。私は会社勤めができる人間なのか、社会に出てどういう役回りで動けるのか・動きたいのか、一生懸命努力してどこまでできるのか・できないのか、ある程度のお金を手にしたとき自分はどういう行動をとるのか、趣味が同じでない人(大学に入って知り合った友人のほとんどは、音楽を通じて知り合った人達であることに気付いて少しショックだった)とどれだけわたりあっていけるのか、東京を離れた暮らしにどのような感想を持つのか、などなど。不安ばっかりだけど。大人の人達に対してまだ何も言えない。
友人達と海に行って撮ったトイカメラの写真が白黒フィルムだった。白黒なのがいい写真と、別に白黒じゃなくてもよかった写真とがある。色が無いぶん、光と影とセンチメンタルが増している気がする。私の撮った写真に友人が映っていることが、すごくうれしい。ほっとする。私がいて、彼や彼女たちがいたことが過去に本当にあったのだということを示してくれる。
季節の変わり目にはきまって風邪をひく。気分が落ち込む。誰とも話したくない気分。声をことばを発して人に影響を与えたくない。でも普通に人にメールを送るし、会うし、話す。思ったことのほとんどは言わなくても済む。不快な気持ちは話して共有しなくてもいい、いつか忘れるから。じゃあ普段人と会って話してる人は、ことばは、誰なんだろう?
もっと書いておくべきことはたくさんあるのだけれど、文字にできないです。会いたい人がいるようないないような。偶像のぬいぐるみを引き寄せておく時期か。
くらげの瞬き。人の瞬きはしばらく見ていない。