"Partout."

暴力を受けているってきっとこんな感じなんだろう。あの人はどうすればいいかって教えてくれた。忘れた頃に、思い出すために抉る。いつか泣いていたこと、いつも誰かが泣いていることを忘れないために涙を流すミッフィーがいまiPhoneの壁紙。涙を見ると悲しい気持ちを思い出す。(ただしこれは震災について、悲しんでいるのだ。)でもこんなことしていると、「悲しい歌が好きなくせに、悲しいことは怖いんだね」と言われてしまうね。ここ数日はSyrup16gの『syrup16g』を部屋で聴いている。何かに触れて涙が出そうになってこらえることと、涙を流すことは違う。このアルバムの五十嵐さんの声は私にとってまるで「涙」のようだ、と思ったのはこのアルバムが出た頃だから、4年も前か。インタビューの載ったJAPANも読んでない、武道館でのラストライブのDVDも観ていない。あの頃、ことばの隙間からすくえなかった感情が少しずつ聞こえるようになってくる。それは今までの4年間の生活から学んだものなのだろうか?
この言葉はこの考えはこの風景はこの感情は、どこで見つけたものだっけ?映画、演劇、音楽、本、会話?誰と、男の子、女の子、いつ、どこで、どんな流れで?インプットが多過ぎるというわけでも、アウトプットが足りないというわけでもないけれどあまり落ち着く時間が取れていないせいかごちゃまぜになってよくわからなくなってる。最近についてのこと、列挙しただけじゃあ、おさまりきるはずないでしょう。何かについて人と語り合うことが好き、人と話すのが好き、と思えるようになってきた。けれど自分のことを話すのはしばらくやめたい。あまりいいことがないから。
人に、私について何か言及してもらいたいだけなのだ。情けないけれど、認めたくないけれど、それが私の底にずっと存在している。
化粧品売り場でお化粧をしてもらう。私の普段の化粧は男の人に「それ、メイクしてるの?」って聞かれてしまうくらいたいしたことなくて(自分では毎日最低限のことはしているつもり)、メガネをはずされてよく見えないけれど目の前の鏡の前にずらりと並べられているクレンジングミルク、洗顔料、化粧水、乳液、美容液、日焼け止め、下地、部分用下地、コンシーラー、ファンデーション、パウダー、チーク、口紅、そしてそのすべてをのせた鏡の前の私の顔。周りの女の人の顔にはこんなにたくさんのものがのせられているのだなあと感心する。ヒールを履く女の人にはね、それはきっと彼女自身が望んで履いていたとしても、ほんのこれっぽっちでもいいから敬意を持つべきなのだと私は思っているよ、男性のみなさん。「まつげ長いですね〜」「あ、まつげ長いなんて、今まで言われたことなかったので、びっくりしてます」という会話をした。美容院へ行った帰りのように、今日一日の私の顔は、美容員さんの作品だったのだろうか。
フレンチ・カンカン」を初めて観たのだけれど、ラストが素晴らしくって感動してしまって、終わったあと立ち上がって心からの拍手を送りたくなる衝動に駆られる。どうもね、きっと他の人にとってはなんでもないようなこと、大勢の人がみんな一緒に歌ったり踊ったりしてる姿が現れるだけでグッときて涙が込み上げそうになってしまうんだよね、という話をしたら、「うん、わかります、わかります」と大きな同意を得られてうれしかった。でも、「自分をなくさなければ『わかる』なんてことはありえない」と映画の中で灰野敬二氏が言っていた。でもでも、私「わかる」ことなんてとっくに望んでないはず。
思い出の代々木公園。感傷を上書きせずに、トイカメラで撮った写真に裏付けされずに、私はちゃんとそのままの思い出を覚えているだろうか。どうしても忘れたくない瞬間を見て、ことばにもできないししたくもないし、でもその素晴らしい光景を私はずっと覚えていたいのだ。タイトルは「        」。
私が私を超えないことについてずっとずっと怒っている。
何十年か前に母が生まれた日。家族でバースデーケーキを食べているとき、左手の手相の話をして、生命線がここで切れてるからきっと大病か何かをするんだろうなって思ってるのよと言っていて、私はそんな変なこと言わないでよ〜長生きしてよと言った。親しい人にそんなこと言われたら結構困っちゃう。でも親子だなと思った。私も左手の生命線が気まぐれに切れたりつながったりする。前に一度、部屋の掃除をしていたら母が父と結婚する前に書いた日記の1ページ、のようなものが出てきて、読んでから見ちゃいけなかったかもと焦って、どこかにしまってしまった。日記は自分のためにとっておきたい、人には読まれたくない。
京都や大阪へ行くかもしれない。行かないかもしれない。太陽の塔を見る、喫茶マドラグへ行く、京都へ行ったら六曜社へ行く。泊まるあてはあるのだけれど、ビジネスホテルに一人で泊まりたいなあ、何年か前の旅行みたいに。部屋で一人でメン・イン・ブラックの何作目かを観た。朝、ホテルの食堂で一人で食べる朝食。フランスで買ったシャンパンを誰かとあけたかったのだけど。新宿の紀伊国屋書店でやってる「ほんのまくら」フェアに行きたい。目的地、行きたい人、時間。–「どこへ行く?」「あらゆるところ」
鉛筆で描いた円をはさみで10も20も30も切り取る。「銀河鉄道の夜」を読んだら天の川らしい夜の星の流れが見えるようになった。駅からかえる道のりの田んぼや畑からは、カエルの鳴き声が聞こえなくなり、リリリという音がするようになった。あと、稲穂の実の匂い。帰る田舎が無くてさみしい。田舎から東京へ帰ってきた人からおみやげにドロップをもらった。おみやげとかプレゼントとか、その人の生活の中のある時間で、私について考えてくれるということがすごくうれしい。
ずっと人にCDを貸す側だったのが、何枚もCDを借りる側になって、これも、うれしかった。
「はい、これはあなたです。」