くちびるがいつもより赤い

「真っ白でしたよね」と言われる。雨が降っていた日、私は白いTシャツにベージュのチノパンを履いてて、お互い目が合ったけど一度は通り過ぎて、振り返ってくれて会釈を交わした知り合いの人。同じ日に別の場所でお会いした時にそう言われた。「そんな格好でしたっけ?違うように見えたけどなあ」と言われて私は困って笑うだけだったけど、素敵なこと言ってもらえたなあと思い返してうれしかった。
帰り道、地元の駅近くの居酒屋の前で、猫が歩み途中の姿勢で、本当におかしな格好で固まっているので、もしかしたらそこだけ時間が止まっちゃったんじゃないかと思ってしまって歩くのをやめて振り返ってじっと見つめてしまった。どきどきした。
言葉にできないまま過ぎてしまった記憶。共有されない思い出を大切にしておく。スペシャルだった休日の朝を。映画「親密さ」オールナイト、255分(もう一度観たい)。西武ドーム、世界から逸脱した日。ミスコミュニケーションと尊敬と尊重とマウント上のピエロについて。珍しい名前の人に出会って感動したこと。ことばのはてについて。家族が帰ってきているので家が重たい。いい家族写真が撮れて喜んだこと。部屋の窓の近くで弱ったセミが鳴いていた。「すべて真夜中の恋人たち」を読み終わったこと。目白へ贅沢なかき氷を食べに行ったこと。会えなくなってしまう友人との会話。映画音楽について。親密さ。
本の中で登場人物達が交わす会話のように、くだらなくてうすっぺらい口語に邪魔されずに考えを交わし合うことにずっと憧れてるけれど、今の私が救われた心地がしたのは、価値観が少し似ている女友達と話した時間、「うんうん」「わかる〜」とか「そうだよねー」とかそういう、生身の私の口から出てきたなんでもない言葉による会話だった。そういうもんなのかなあ、悔しいな。でもほんとにすごく変わった。
いろんなものがこわくて、手足が緊張して心が萎縮して何もできなくなってしまう。「もっと辛い思いをしたほうがいい」と言われたのは2度目。幸せになろうが不幸になろうが、私は常に過去の私を裏切り続けているから。年上の人と話していると、自分の危うさに自分で不安になる。話していることはほとんどいつもから思っていることなのだけど、それが声になって発されて私の耳へ入ると、その考えの愚かしさや未熟さや危うさが恥ずかしくてたまらなくなる。そんなに極端に決めつけなくてもいいのにとか攻撃的になり過ぎじゃない?とか素直になればいいのにとか思い上がり過ぎでしょうよとか、わかってるのだけど曲げたくなくて、例えばそれを若さゆえにするなんてさらに情けなくてできない。話を聞いてくれる人なんて、ねえ。
今まで触れてきた作品たち、経験、そこから得たもの、少しずつつながってきてる。言葉にまとめられる気は全然しないのだけど、その少しずつのキーワードが直接的でなくても確かに結びついている。意味を持たせたいとかそういうことじゃなくて、でもとても喜びを感じることだ。
一度だけお会いしたことのある人について話していて、私は顔がまったく思い出せなくて、「すみません」と謝ったとき、「一度しか出会わないのは出会ってないのと同じだよ」と言ってもらった。何度も出会ってようやく認識できるんだと。ああそうかもしれない、と思った。だから、なるべくたくさんのものに触れたい。だから何度も出会いたい。

家で何度もこの曲を聴いてる。