咲いてしまった花の、咲かなかった花の

8月2日、麓健一のライブを見た。GAIAと書かれた紺のキャップをかぶって、裸足でときにぱたぱたとリズムを取っている。7月に見たときと同じように新しい歌詞とメロディーを少しだけ歌ってから、これまでの曲、「ピーター」や「花火」、昆虫キッズのカバー「恋人たち」、「たたえよたたえよ」などを歌う。『コロニー』の楽曲は、第三者の彼や彼女について描写することで、一人称・二人称で歌っていたところからその感情を投影してみせるようになった、という批評をたしかどこかで読んだけれど(「複数の視点」)、今回歌っていた新曲たちは、私とあなたの視点に戻っていたように思った。そしてレコ発のときも感じたことだけれど、彼は、自分で自分の曲を風化させる。曲自体の良さがなくなるというわけではまったくなくて、歌詞は作った当時の感情を閉じ込めているもので今の自分ではないのだという気持ち(以前本人がインタビューかなにかでそんなことを言っていた)を歌う姿勢で浮き彫りにさせる。目を閉じたり薄目を開けたりしていたけれど心ここにあらずの状態に見えて、彼は一体どこを、どんな世界を見ているのだろうと考えているとMCで「私は、全然ここにいる気がしません。」と一言。「新宿のホテルで寝てるような気がします。」と。「ファック、ファック」と呟いて前野健太「ファックミー」を歌ってみていた。夏を思い出す曲ですと言って、Mahel Shalal Hash Buzの「first love」と「kamakura」を、oono yuukiのレコ発ライブに触れて「弓を放つ」を演奏していた。「恋人たち」も夏の曲との紹介だった(「夏を感じさせる曲をやります。TUBEではありません、笑」)。「恋人たち」や「弓を放つ」は彼らしいカバーだったけれど、「first love」と「kamakura」は麓健一の歌じゃないような、彼に歌われているのに誰にも属さないように聞こえて、こんな風に感じたのは初めてだったので驚いた。(マヘル、今まで聞いても全然いいと思えなかったのだけどライブの後聞いてみたらすごく好きかもと思えてとても嬉しい。)その後「Party」「ロンリネス 凧」を歌って演奏終了。前見たとき以上におぼつかない、たよりない印象を受けたけれどやっぱりとてもおもしろかったし、彼への拍手には、敬意や愛がこもった温かい音がする。終演後、最近はどんなことを考えてるんですかと訊くと、他人が介入できない自分の気持ちの持ち方について迷っているのだそうだ。インタレスティングなひと。
埋火の見汐麻衣さんの弾き語り、3曲目と4曲目にやっていた「なぞなぞ」と「手紙」を聴いて、暑中見舞いに音楽を添えるなら、彼女の歌を送りたいなと考えてた。「リバーブを全部切ってください」とお願いして高田渡の「コーヒーブルース」、彼女の歌声にはいつもリバーブがかけられてるという印象が強かったから、生のそのままの歌声を聴くのって初めてかもしれないと思いついて、飾られない可憐な歌声を聴いて涙が出そうだった。見汐さんが歌ってる姿を見ているといつもどこかしらで泣きたくなってる。
潮田雄一さん、エフェクターで重ねた音をフェイドアウトして始めに発した「とき」という単語の響きかたがすごく素敵でドキっとした、「雲」であったり「胸」であったり「青」であったり、彼が二文字の単語を歌い始める瞬間が好きだった。繰り出すギターのメロディーがひどく美しい人だった。描写的ながらフィクションが混ざる曖昧な世界観の歌詞で、ボーダーのTシャツにひざ丈のパンツ、スニーカーという格好だったからか少年らしい印象を受けた。
曽我大穂さんはハーモニカの演奏が素晴らしかった。映画音楽のようであって、ハーモニカやウクレレは過剰に感情を演出する音色を持っているのだなと。
その日7th FLOORの窓は開け放されていて、演者をまあるく囲むキャンプファイヤー形式で、新鮮できもちよかった。でも燃える火の前での歌が聴きたい、最近この思いばかり強まってきている。