かわいらしい花束について

わたしをかち割っても何もないのに、「謎だ」と言って興味を持ってくれるのなら、その謎はずっと解かれなくていい。できるだけ他人の目に触れたくない、他人の視界に入りたくない、認識されたくない、という気持ちは今も根底に残っていて、それと自己愛や好奇心がせめぎあっている感じ。手の届かない場所の人に憧れている状態が一番好き。私はその人にふんわりと恋い焦がれるだけ、その人の生活や人生には何も関わらなくていいから。何もない私に気付かなくていいから。
どうも最近の私は元気がない。一人で街を歩いているときの、頬が垂れ下がっている感覚がわかる。テストセンターへ行って能力検査や性格検査を受ける、心理テストみたいな性格検査はやるたびに心が削れていく。意欲の薄い、無力な私を自覚する。知り合いのいない、楽しげなキャンパスを一人で歩く。取り残されている感じがある。友人に会うことも少なくなって、このままの私だと友達減っていくなあ…と割と本気で思っている。すべて自分で選んだことで、やるべきことを真剣にやればいいだけ、好きなことも十分にやれている。たいして悲しいこともないくせに悲しんでいる。ふざけんな、と思っている。
かわいらしい花束を後輩からいただいた。うすピンクのバラやあわい黄色のガーベラが束ねてある。花束をもらうのはもしかすると生まれて初めてで、しかもこんなに可憐でかわいらしい贈り物も初めてで、とても切ない気持ちになった。美しくてかわいらしい切り花、でもいつかは枯れてしまう。なるべく長く楽しめるようにと、花瓶の水に栄養剤を溶かして生ける。iPhoneで写真を撮っても、そのひりひりした切なさは私の写真からは伝わってこなくてさらに辛い思いをする。散らかった部屋の中で、花々の周りだけが特別な雰囲気。
駅前の花壇に咲いている何輪ものチューリップ。朝になると開いて、夜家に帰る時に見るとしっかりと花びらを閉じている。咲かせ終わると、茎の頭から潔く、花のあたま全体をポキリと落としている。春、眩しい色で、毎日規則正しく開いては閉じて、チューリップっていいな、って見るたびに羨んでいる。