the light

色とりどりの花が咲く春はいい季節だとよく知ってるけど、春が近づいてくることよりも冬が去りゆくことがほんとうにかなしい。あたたかくなってゆくことは寒さで縮こまってかたまった心を弛緩させてゆくことで、知らないふりしてた要らない感情に気づかせるから嫌だ。今日は紅や白の花をつけた梅の木を数本見て、ああ春の訪れも近いなと気づいたのだけれど、あたたかくなるにつれてコントロールできない感情が浮き際立ってきてこの季節はつらいことを思い出していたら、1年前にも同じことを書いていた。変わっていない。まったく目に見えないのにこれでもかと存在感を煽る花粉も飛び始めたのを自分のくしゃみで知る。
今年は大雪で大変な土地もあるのにこんなコメントはどうかなと思うのだけれど、わたしは雪が好きで、空からしんと降りつづく様子とか、薄く白く積もった枝とか、真っ白で音を奪う風景とか、芯から凍える寒さとか、そういうことひとつひとつが尊いと思う。ずっと雪が降る土地で長く過ごしたことがないし、旅行で訪れて目にするだけだからこそそう言えるのかも、暮らすとなったらあっという間に嫌になってしまうかも、わからない。去年の年末は秋田へ行って、その頃としてはちょうどひどく雪が降った時期で、万全に防寒して、地元の人は出歩いていない中をよく歩き回っていた。すごく素敵な時間だった。春に逆らうように、まだ寒いうちに雪のある街へもう一度くらい出掛けたい。
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THEE MICHELLE GUN ELEPHANTをよく聴いてる。トカゲと世界の終わり。 ミッシェルというと、高校3年の冬、学校までの道を自転車を押しながら、SONYのプレーヤーで周りの音がなんにも聞こえないような爆音でミッシェルを聞きながら歩いて、枯れ葉のたくさん積もった近くの公園に行って1限をサボったとき、の記憶がよく思い出される。でもそのときほんとうにTMGEを聴いていたのかどうかもあんまりよくわからない、大学に入って知ったのかもしれなかったし。あとは授業をサボって別棟の校舎の屋上へ続く踊り場ではっぴいえんどの空色のくれよんを聴いていたこと、これまた授業をサボって1階の女子更衣室で冷たい床にねそべってsyrup16gの明日を落としてもを聴いたこと、放課後の教室で爆音でMetallicaを聴きながら机につっぷしてたこと、などが思い出される。たぶんずっと音楽を聴いていたはずなんだけど、その風景というか体験たちはよく思い出される。
イエモンが青春だったという会社の先輩からオススメされ、かっこいいじゃんと思い、とりあえずベストなどをよく聴いている。THE YELLOW MONKEYはサークルで演奏されてるのをなんとなく聞いたことがあったくらい。吉井和哉名義の「CALL ME」を一時期おそらくケーブルTVでよく聞いていて好きだった。ボーカリストの元来の暗さがバンドに混ざることで極端な勢いを持って一種おかしいほど明るくなって、そのぶっ飛んだ感じがよいね。あからさまなのに抑圧されている色気もよい。わたしが語るまでもないのだろうけれど。
⒊わたし以上に彼の音楽を愛してるひとがたくさんいる、と思って諦めてしまっていたけれどそんなの誰だって当たり前じゃんね、 小沢健二の「ある光」がApple Musicにあがってからひたすらに聴いている。遠くへ旅立つ友人に贈りたかった曲。わたしにとって非の打ちどころのなく完璧で、その名のとおり希望のように光り鳴っている。はげましてくれるようにもなぐさめてくれるようにも聞こえ、やさしくて泣きたくなる。それが"ある"光であるのもいい。最高に大好きな曲。

⒋TWICEもよく聴いている。かわいいし元気が出る。自分の生活にほとんどまったく直接関係しない人のエールというのは、その無責任さがありがたく染み入ることがある。離れて暮らすおばあちゃんに応援されてるような。
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過去の自分が何を感じて考えて生きていたのか、を時折振り返るのは面白いし、手書きの文字でなく画面でフォントに閉じ込められてると他人のように見えてより趣深い。喜びや感動や愛は言葉にならないことが多いし、絶望とか憂鬱ばかりが残されがち。でもどうしようもなくてしょうもなくてもそれを見て滑稽だなと誰かに思ってもらえればそれでよいしそれがいい。
「何年も誰にも選ばれないってつらいものだよ。」と言った自分の言葉に傷ついているような気がする。冬が終わっていくせいかほんとうに憂鬱で、もっとハツラツと仕事できたらいいのに、達成したい目標を持って、毎日こつこつやるべきことをやって、部屋や身の回りも小綺麗にして、きびきびと歩くし気持ちの良い笑顔で話しかけたり、朝早く起きてコーヒーを淹れて早く会社へ行ったり、製品の勉強したり、不機嫌な人に振り回されることもなく、怒りや絶望に身を包まれることもなく、ああもっとこういられればよかったのに、という姿からどんどん遠ざかっていく。
会社の人が運転する車の助手席に乗って北から東京へ入っていった。ほとんど暮れた高速道路は車の形も見えるかどうか、走っていくヘッドライトがやけに眩しくて、きわだってゆく高層マンションやオフィスビルの灯りとともに匿名性を帯びてゆく光りの集まりはきれいだった。