ドライフラワー

満開の桜の下の花見、からの温泉、からの鍋、という最高なプランを経た。桜の美しさに対してどうも懐疑的であるのだけども、一面に咲く満開の桜を一目見て、「うわぁー」という歓声が自然とあがった。上野公園や代々木公園のようなポピュラーな公園でなかったためか、家族連れや地元の集まりらしき人が多く、レジャーシートたちの合間も十分な余裕があるし、雨もあがって、買ってきたお惣菜と缶ビールと日本酒と持ち込んだお菓子とで、並んで座って、花見をした。空は真っ白だった。途中からは風が強くなってきて、一斉に散り出して花吹雪になって、散り出すとお祝いの気持ちよりなぜかお別れの雰囲気が強まるしなんとなく悲しくなった。同じ少年が何度も側を通り、ウサギを連れた人を2組見かけた。
誰かと一日中一緒にいること、並んで歩いて、一緒にご飯を何度も食べるし、思いついたことをちゃんと言葉にしてみたり、異なる感想を語り合ってみたりする。彼女にとっての当たり前はわたしにとって非日常で、それを少し分けてもらった気がする。あるとき、同じ場所でほぼ同じような環境にいた(と思っていた)人たちはそれから、みんなそれぞれの生き方をしていて、他人はどんどん遠くなっていくなあと感じることが、多い。
4月だし桜が咲いたから花見をしてたのに、自分の中の季節認識がまだ「冬」であったことを指摘されて愕然とした。やっぱり圧倒的に冬が好きなんだけども、季節感覚がまったく追いついてないとは・・・。
「LA LA LAND」も小沢健二の「流動体について」もなぜわたしがこんなに惹かれるかというと、選ばなかった人生についての話はわたしたちについての物語だと思うからだ。恋愛について、仕事について、家族について、生と死についてだってもちろん同じ、生きていくうえで出会う事柄という点で皆共通だけど。今 生きている生活の時間軸上 わたしたちは常に「選択」に晒されている。それを切実な問題だと思っているから。
ロロとのコラボを見てからEnjoy Music Clubを好んでよく聴いてるのだけど、お気に入りな理由は彼らの曲のテンポが歩く速さと似てるから。この曲、ロロの女優さんたちとの掛け合いが素敵だった。