青色の花火って昔はなかったね?

手帳に日記はたまにつけるけど、それでもここ1・2週間はあまりゆっくり振り返るすき間がなかった。2週間前に発症したぎっくり腰はようやく回復して、普通の生活ができるまでに戻った(まだ少し不安だし違和感があるけれど)。健康第一、身体が資本です、と心から思っているし言いふらしているのに、なぜこんなにも体調を崩してばかりなんだろう。「さあ、やるぞ」と元気とやる気を持ち合わせている期間が普段の人生のうちで非常に短く、やる気がなかったり元気や体力がなかったりする。言い訳にしたい訳ではないんだけど、もしくは身体がそれを言い訳にしたがっているのか。運動しなくなってからお腹周りがぷにぷにしてきたので、夏休み明けくらいには復帰したい。
本がいつまで経っても読み進まないこと、相変わらず英語やフランス語や必要な知識の勉強を怠っていること、太ってきたこと。あと健康を維持できないこと、これが悩み、というより自分の気に入らないところ。家計簿をつける、手帳をつける、たまには夜ご飯やお弁当を作ること。毎週末掃除機をかけること、洗濯物を朝干すこと、コーヒーを淹れること。"生活をする"ことができるようになってきたことが自分のうれしいところ。
30階から花火を見た。思ったよりも大きく見えた。窓から見える夜景の一部に花火が上がっていて、その全貌がここからは見えて、でも風景の一部でもあって、なんて贅沢なんだろう。打ち上げ音が聞こえなくても、上がって、咲いてひろがって、散って消えてゆく花火は美しくて、どうしても切ない。ぐっと泣きそうになる、のをこらえる。この気持ちは誰とも共有できなくていいと思う。隣に連れてきてくれた人がいるのにそれってずるいかなあ。しかも5つの場所の花火が見えたのよ。河川敷を散歩して、日差しが強くて雑草がキラキラしてた、そしてビールをあおりながらの夜景の中の花火。忘れられない記憶、ハイライトされる時間となることをその場にいて知っていた。
ここ1ヶ月のうれしいこと、腕時計を2本買う。特急に乗る。おみやげを買う。
J-WAVE聞いてたら流れてきた、今あんまり古くさく感じなくて、夏っぽくてお気に入り。眉毛細くて90年代顔だけど、その時代はすでに生きてるしそこで育ってるのでちゃんと自発的にかわいいと思う。でも顔と名前が見分けられなくて、多分覚えようともしてない。「あのペリカンさみしそう〜」って脈絡なく入ってくるのが好き。