広かった

韓流アイドルのコンサートへ。名前と、所属グループと、Youtubeで見た2曲、くらいしか知らないまま、母が行けなくなった韓流アイドルのコンサートへ、定時であがって行った。 その人のイメージカラーは黄色であったようで、グッズは鮮やかなイエロー、グッズでなくても黄色の服を着た女の人ばかりいる。黄色って日常的に着ない色なのかなと思うけど、黄色の服を着た女性たちはかわいかった。
ピカピカと点灯する黄色のペンライトをみんな持っている。開演前、会場は少し暗くなっていてペンライトがぴかぴかと光っている。その光たちってすごく綺麗で、それらを持っている人たちひとりひとりが様々な想いを持ってここに集まっているんだな、と思ってそのひとつひとつの尊さにグッときて泣きそうになる、まだアイドルが出てくる前なのに。 想いが集まる場所、というのに弱い、この前恵比寿で盆踊りのお祭りを見かけたときでさえ、そのぼんぼりのピンクの灯りとそこに集まったひとびとのそれぞれが抱えている気持ち、暮らし、というものをぼんやりと想像するだけで尊くて泣きたくなってくる。
「僕とデートしたい人〜!!」という呼びかけにみんながワーと答える、曲中、ステージに階段がかけられ「今日は左!」というとダンサーが客席へ入っていきひとりの黄色いツアーTシャツを着た女性を強制連行(と言いたくなるくらい無理やりな感じだった)。しばらくしてその女性が車輪付きの椅子に押されて出てきて、アイドルと2人でデートするというシチュエーションを歌った曲で、デートのようなひとときを過ごす、それをみんながキャーと言いながら見ている。最後には手をつないだり抱きしめられたりしていた。 その選ばれた人ひとりに、嫉妬を抱く人もいるだろうけれどきっとたいていは、そのひとりであったかもしれない自分を想像して心ときめかせるのだろうなと思い、やっぱりアイドルを好きだったらその人がすごくうらやましい、けどそこに自分を投影してどきどきするだろう。すごい演出だなと思ったよ。
強靭な肉体と魂を持っていないとあのステージにはあがれないのだろう、きっともっと流暢に喋れるであろう日本語とか、自分が女性をときめかせる角度、視線、仕草などをよく知っている。でもそれをクリーンに見せるのがうまいのではないかな、韓流の人たちは。彼らは異国の王子様だ、と思った、わからない言葉を話すし知らない文化を持っている、日本人じゃないから生々しくない?
快快の演劇を観た時に感じた鼓膜の振動を、会場いっぱいのファンがアイドルの彼の名前を精一杯呼んでいるときに同じように感じて、ぞくぞくした、みんなきっと普段は出さないような大きな声を出して彼の名前を呼んだり、フゥーと盛り上げたり、おきまりのかけ声を叫んだり、楽しそうに身体を揺らしたりペンライトを持った腕を振ったりする。夢中になれるものがあるっていい。 隣に座っていた一人で来ていたおばさんに自然に話しかけられる、好きなものが同じってこういう風に話しかけやすくて友達を作りやすいんだった、韓国語の名前を自然に口にして、呪文のようにも聞こえるのだった。
昨日はロロの官能教育『鼠』を観た、あの韓流アイドルはきっと「僕のお母さんになりたい!」とか「ボインボイン」とか言わないだろうなと思ったりしていた。 『鼠』、わたしは共感できなかった。共感できる/できないがすべてでは勿論ない、でもそこで話されてる核となっているだろう感情がわたしにはわからなかった。男性にはわかったのかな。小さい男の子のお母さんへの甘えかたってあんなだったかな、と思い、恋人がわたしに甘える姿を思い浮かべる。望月綾乃さんがものすごくエロティックであった。すごい。
初めて整体へ行って、左足より右足が長いことを教えてもらった後、左右の足の長さを同じにしてもらう(どうやって?)。施術後、寝転がっていた身体を起こして立ってみたところ、いつもよりはっきりと、両足、2本の足で立っている実感が持て、感動。周りに整体に行ってほしい人がいたためにまずは自分が行ってみないと、と思って飛び込んで、自分にはそんなに不具合はないだろうと思っていたので、いろんな部所の歪みを指摘され驚く。短い施術時間だったのに。人って生きてるだけで歪むんだな。
若さがもったいないねと話していた。身体の動きに憧れる。「若さをもてあそび ずっと泣いていた」、サニーデイ・サービスの「若者たち」、このワンフレーズを聴きたくなってYoutubeの音源を聴く、「ずっと泣いていた」だけでその後は何もないのだ。音楽ってそういうものだったじゃないか、と気付き。