谷に暮らす

階段から落ちた。どんな風に落っこちたかとかどんな怪我をしたかとかは何遍も人に話したので定型化して疲れてしまった。身体の内部に大きな障害はなくて、傷を少し縫っただけで済んでよかった。怪我をするとびっくりして悲しくて情けなくてよく泣いてしまう。大人げなく。バランスを崩して階段へ飛び込む時の目に映った風景が写真のようにあり、どうやって転んだかは全く思い出せない。衝撃や痛みはもうあまり思い出せない。うずくまりながら意識はしっかりあって悲しくて、でも動けなかった。 救急車で運ばれた。救急車を待つ間、後遺症等残るようだったら死んだほうがいいのかなと考える(誰かにとって失礼なことだと知っているけど)。むしろあのまま死んでしまった方がよかったんじゃないかと思った昨日の真夜中。夜更かししてるからいけない。 救急外来は待ち時間が長い。女の人になぐさめてもらう優しさ。それぞれの検査をしてもらう。傷を縫うために横になっていたら眠くなってうとうとしていた、目覚めたら処置が済んでいる。部屋を出ると会社の付き添いの人同士が話している、仮眠を取ったおかげでわたしも話ができるようになる、笑えたことで自分の回復に気付く。 痛々しい外見で家にいる。この土日はモンスターになった気分で過ごす。手放そうとしている漫画を一気読みする。顔面や腕の痛みが残っている。元気が出ない。
会社の仕事のことを考えてると涙が出てくる。今の仕事が果たして普通なのか、そうでないのか、わたしが弱いだけなのか、そうでないのか、周りがよくないのか、そうでないのか、ってよくわからない。すぐ泣きそうになるのでわたしほんとは辛いのかなと思う、けどよくわからない。自分で自分を責め過ぎてるのかなとも思う、でもそうするしかなくてなかなか変えられない。人が人を手伝ってあげられる余裕がないのが今の職場だ。「大丈夫?」って聞かれるとやっぱり「大丈夫です」と答えることしかできないし、それ以外の答えなんてない。変わらないね。何も出来ないことを仕事のせいにしてる、今生きているすべては"わたしの選択なのに"。仕事というのはこういうもの、時間を削ってお金を得るもの、人生の中でこういうもの、という認識がうまくできていないのだろう、わたしの中で。もっといい理想があっても、今置かれている状況ではそういうものだというのを、自分が受け入れられてなくてこんなに辛いのだろう。何かを諦めるとか、もしくは何か目標に向かうとか、自分の中で納得感があればもう少し気持ちが楽なのだろう。目標を持つ人がうらやましく、自分もどうにか見つけられたらいいものの、目標を持ったことなんてあまりなく、点数とか合格とか、そういうものに頼ってきていてだから学生時代は上手くいっていた。漠然とした何年も先の理想を描いてそこへ向かって今頑張れる、という男の子はすごいなと尊敬している。
心身共に健康 でいることのなんと難しさよ。最近は女性誌のMOREを隔月くらいで買っている、みんな輝いているように見えて慰められる。ライブという空間に行くことが最近はこわくて、敬遠している。したいことが少なくなっていく。みじめだな。