ブラインドしめないでください

知らない間に暦が進んでいる。
さみしい胃腸炎 / 胃腸炎になって会社を休んでいる。社会人になってから胃腸炎になるのは2度か3度目。情けなくて呆れる。胃腸炎を治すプロセスはさみしい。発熱を伴う風邪のようにわかりやすい数値や症状があるわけではなく、ただ安静にしていなくてはいけないし、ずっと家にいるのにコーヒーも飲めないし、人に言うのも恥ずかしいし、胃が痛かったり全身がだるい以外は元気であったりする。今日は通販カタログをめくってたまに折り目をつけたりして午後を過ごした。あとは寝ている。取り残されていく。
嫌いなこと、嫌いなもの、嫌いな人 が増えてきた。月曜日は会社が嫌で嫌で仕方がなかった。「明日は我が身」ということを今の場所にいるとよく感じる。みな本人のいないところで陰口や愚痴や皮肉を簡単に言う。私も今は頑張ってその中へいいように取り入っているけれど、例えば今日なんか、私のいないところでみなは私の愚痴や悪口を言っているのだろうと思うと悲しい。その人に気に入ってもらえなければ、役に立てなければ私もすぐに捨てられるのだろう。派遣社員が次々と辞めていく。それを目の前で見せられるのはかなり"萎える"。でも特に改善されない。人事は使えなければ変えればいいというスタンスなんだそうだ。今の仕事は"入社時"に私が望んでいた仕事に近いことでありがたく思う。ただ特に面白みも何も無い。私は社会の歯車になりたかったのだ。そして歯車になることができている。半年ぶりに会った人に「仕事面白い?」と訊かれても「ふつうだよ」としか答えられなかった。業務量が多いこと、毎日残業を余儀なくされること、家が遠いこと、が私はきつい。他の人は普通にできることができない。
家を出てから会社に着くまで、会社を出てから家に着くまでのプロセスと費やす時間がしんどい。生活がしたい。アクセスのよい土地に住んで、帰れない、もしくは帰りたくない系女子を男の家に泊めさせないためのシェルターになりたい。
めんどくさいわたし。嫌われてしまう、忘れられてしまう。 半年とか1年くらい会っていない友人に、もう私は忘れられてしまったんじゃないかと考えてかなしい気持ちになる、ということを繰り返していたときがあった。1ヶ月くらい会っていなかった恋人も。きっとそんなはずないってわかっているのにわざとそういうことを考える。みんなもろくて、大事にしないと失くしてしまう。悲しまないように失くしたあとのことを考えておく。
母が自らの母を見て、「年を取ると自分のことしか考えられなくなるんだよね」と言った。人生の中でいちばんやさしいときはいつだろう。もう過ぎてしまったかもしれない。余裕がなくて細かなことがどうでもよくなって、今までできていた思いやりのあるドアの開け閉めとかできなくなってきた。言いたいことばが足りなくて、芸能人の名前も思い出せなくて、社会の仕組みを忘れて、どんどん頭が悪くなってきている。なりたいものはなかったけれど、なりなくなかった人間になっている。今までどういう風に楽しかったかではないし、たいしていい暮らしをしていたわけでもないけれど。前楽しかったことを思い出せばいいよ、って彼は言っていたけれどちがうと思う、少しずつでも更新しないといけないし更新したい。
いつ終るかわからない時代である