0時に針はありません

自転車での帰り道、手袋も耳当てもしないで帰れる夜が幾日かあって、春が近づいていることを知る。この前なんかは、一瞬だったけれど夜の風の中にたしかに春の匂いがした。それを電話で話して「春が、くるなあ、と思ったよ」と話すとなぜか笑っている。なんで笑うのと聞いたら共感したんだ、と言っていた。 私も以前、他の人もそんな風に思うんだ、ってすごくうれしかったことがあって、どういうことかと言うと、駅の自販機で缶のホットドリンクを買ったとき、熱くて持てないときがある、という話を彼がしていて、あ、そう思ってるのって私だけじゃないんだと知ったときのこと。 夜、帰り道に見えるオリオン座がどんどん西へ傾いていく。秋や冬の初めには家に着く前、東の空に冬の大三角形と堂々とあったのに、今は同じ時間でも空から落ちる寸前の西にある。オリオン座は冬の象徴で、見えなくなってしまうことは冬が終ることだ。さみしいと思う。寒いのは苦手で毎日何枚も厚着をして出かけるんだけれど、冬は気分も落ち込むなと思うんだけれどそれでも寒い冬が好き。冬を好きでいることは自分の憂鬱や孤独を守ることである気がしている。春のような空気の中で自転車をこいでると、身体のこわばってたのが少しずつほぐれていくような気がするのと同時に、頭のネジが数本ゆるんでくような気持ちになる。春に変質者が増えるのもわかる気がする。伝染するように各所で桜が咲き、一斉に様々な色の花が咲き始めるはずだ。
歌人・堂園昌彦さんの「やがて秋茄子へと到る」発売記念のトークショーを聴きに行く。初めてお目にかかった印象は穂村弘に少し似ている、ということ。太い黒ぶちのメガネや穏やかそうだけど芯がありそうな文学青年らしい見た目などから。詩人・文月悠光さんとの対談。面白い話が聞けた、ととても満足できる会だった。歌はたいてい散歩中に作ること(できた歌の断片は携帯のメモに書き留める)、音から、タイトルから作ること、散歩中の風景のフラッシュバックに忠実な季節描写、「やがて秋茄子へと到る」というタイトルに込められている彼の価値観、など。私は1ページに1首しか載っていない歌集が好きである、堂園さんの歌集もそうで。どうしても隣に文字があるとそちらもチラと読んでしまってイメージが集中しなくなってしまう。活版印刷された文字、その連なり、歌、歌集、が物として目の前にある感じ、そしてそれらを愛でることができるので好き。 音読も非常によかった。文月さんが読むのと堂園さんが読むのとでは印象が全然違う。文月さんは、感情的に読む。堂園さんは静かだった。声が低くて深みがあって私がそう読むんじゃないかなと漠然とし抱いていたイメージであった。短歌は感情的でなくてよい、でもその奥の方に背けられないなにかがきっとあるのがよい。と私は思っている。私は彼にとって「薔薇」は何の象徴なのか訊いてみたかった。
友達ってどうやって作るのだろ、と考え込んでしまうときは友達なんて作れないのかなあ、何話せばいいのかわからなくなってしまう。共通項が無いと大した話ができないし、当たり障りない話は聞き出したり話したり、いつまでもできるけれどむなしくなってしまう。なにかたいそれたことを話したいわけでもないのだけれど。どうすれば楽しいのだったっけ、って馬鹿げたこと考えてしまう。会う頻度が少ないからいけないのかな、いつも近況報告から始まるなんて面白くないのではないか。
人生楽しいことしないとね、と母が話していて、趣味は何だったろう、と考えるとすぐに浮かんでこなくて困る。音楽を聴くことやライブに行くこと、演劇を観にいくこと、本や漫画を読むことは少しずつするけれどどれも突出して詳しかったりしないし、人と比べると大したことがない気がして話せない。 新しい楽器を買ったのは不安であったし挑戦だった。週末しか触れてないしまだ全然うまくできない。せっかく買ったのに、早くいろいろな曲ができるようになりたいのに行動に移さない自分はイライラする。想定内だけれど。新しい楽器は身体を使うのでそこは好きである。声を出したり息を吸ったり吐いたりすること。
ライブで会うたびお菓子を持っていて、私にわけてくれる女の子。お菓子はしっかりかわいらしく作られていて、もらえると私はうれしい。去年のバレンタインは、人に自分の作ったお菓子をあげるなんて、こんなのは好意の押しつけでありエゴじゃないか、という考えにとらわれて人に何もあげられなかったけれど、ホワイトデーにお返しを持って駅構内を歩く男性やサラリーマンを見て、まあいい行事なのかもしれないと思ったことがあった。彼女はどんな思いを持ってお菓子を人に配るんだろう、もらってもらえなかったお菓子は家へ持ち帰られるのだろうか。それは悲しくないのか。そんなこと考えないのか。彼女の作ったクッキーは非常に完成度が高くて初めて目の前で見たとき、ほんとに感動した。
yumboとpenoのライブを観て、急に男の人に憧れる気持ちを思い出した。シャツの上に丸襟のセーターを着ているのが似合ってて格好いい男の人を見て、すごく女性らしいかわいらしい格好をして現れた知り合いを見て、楽なボーイッシュな格好をして家を出てきた私を顧みてそう思ったのだった。何事にも意味を見つけます。丘も背負います。三大欲求と闘います。なんて嘘ぴょん、なんにもなれないよ。 yumboボーカルの高柳さんはその日すごくかわいらしい格好をしていて、つけていたはずのメガネをしていなくて、髪も短く切られていて随分印象が違った。「人々の傘」のように均衡が崩れるような瞬間が好き。私は澁谷さんの意図することの少しも掴めていないだろうけれどそれでも澁谷さんが好きですと思います。
さみしいと思うことは余裕があることかなあ。長い間会っていないことになる、さみしいし会いたいなと思います。寝る前に彼の写真を見てた、知らない男の人に見える。
シャムキャッツの新曲「MODELS」がとてもよい!サビ前のワンフレーズにじわじわ感動してなぜか涙出そうになる。ベンツが走りカラオケみたいに歌詞が流れるPVもよい。