世界はなんてミルフィーユ

木々の緑も、渋谷のネオンも、雨が降っていたほうがよく映える。会えるかなと、なんとなくおもっていた人と、偶然会った。言わなければよかった一言を後悔する。距離をつくりたいのではなくて、愛を込めて、ちゃん付け。年賀状を数枚だけ書く、あなたが今まで何百回も書いただろう住所を、初めて書く。猫を撫ぜた手つきから、あなたという人を想う。一人で歌う、耳もとのピアスが赤く光っていた。いつか失うのが悲しいから今のうちに泣いておいたほうがいいだろうか?
伊豆へ旅行したときに古本屋で買ったサン・テグジュペリ『人間の土地』を読み終えた。バイト先に来ていた女子大学生がたまたま持っていて、私も読み始めたのだった。先に読んだ誰かの赤鉛筆がところどころに引かれていた。気高い精神の一つを知る。仕事に就く前に、それを知れたことがとてもうれしい。「それにわしがしなかつたら、誰がわしの樹木の手入れをしてくれましよう?」という心持ちを、責任を、持てたら。
母に連れられて、K-POPアイドルグループのコンサートを見に行った。幕張メッセエルレガーデンのライブ以来で、その何年か前に見た風景を眺めるのは感慨深かった。アイドルと、アイドルという仕組みは凄い。女性たちの幸せなオーラが会場を包んでいて、アイドルは彼女たちへやさしい歌を歌い、それにときめき癒され励まされ、アイドルが一生懸命歌い踊って日本語を話し努力する姿を見て、自分も明日からも頑張ろうと思うのだ。そして金を落としてゆき、経済が動くのだ。数年前から韓流にハマりだした母は、今までは何をしていたのだろうと思うほど、仕事や家事の間に時間を作ってはドラマやDVDを見、韓国語を勉強し、同じ趣味を持つ友達と会う。
平賀さち枝さんのワンマンショウを見た。「今年はうれしいことやかなしいことがあったけど、でも今はうれしい気持ちです」と話して少しだけ涙を流した彼女の、私が想像してみても決して届かない、かなしいこと。アルバムではバンド編成で収録されている「パレード」を弾き語りで歌っていて、その歌声がとても、光り輝いていた。「一人の夜を越え目を覚ましなんでもない朝が来て」
3年ぶりに高校の友達と会う、もしわからなかったらどうしようと思っていたけどそんなことは全くなくて、顔も身長も服の感じも喋りかたも変わってなかった。彼女は緑色が好きになってた。私も全然変わってないねと言われる、3年間いろんなことがあったよ、3年前の私とは違うよ、と思ってるけど、たいして変わってないかな。
他人の布切れひっぱってきたようなパッチワークみたいな人間だ、わたし。周りの他人を少しずつ取り込んでできてる。私の周りの他者と私、という関係ではなくて私の周りの他者が私の一部分だ。たとえその糸がわたしだというなら、その全体は誰だろうか。
来年は、大きなものを目指さなければならないと固執してきた考え方を捨てて、自分の小ささや至らなさをもっと実感して、目の前のこと、手の届くことから一生懸命取り組みたい。洗練されないものとか自己満足のための小さな自己実現を馬鹿にしていたけれど、そういうことを、これからしていくべきなのだ。夢を持たない、只の普通の人間なのだから、それらしく生きるのだ。何か少しでも将来成し遂げたいことがあったらと願う。
人はみな矛盾を抱えているんだそうだ。私はそれを捨てたくない、矛盾をどうするべきか?