sweetness

誰が人の生活を笑えるというのか?
「ことばで何かを表そうというのは無理な相談だ。考えをことばや文にしようとすると、たちまちなにもかもうまくいかなくなる。」とはマルセル・デュシャンの言葉。文章にしたり人と話したり、私の考えを言葉にすることは、何かを意味する言葉をひとつ選択すること。それは他の意味を持つ言葉を選ばないこと。Mon choix est moi, 私の選択が私を形づくる、私の選択が私である。All Ready Made, すべてはレディ・メイドである、身体や名前、身につけるもの、すべては既製品で、それを選択している。考えすぎると何もできなくなってしまいそうだけれど、意識的でいたい。なにかひとつを選ぶことはなにかを手放すこと。選択は時に苦しい。
可能性が好きだ。あれもこれも選べる自由がある状態が好き。だからテレビが嫌い。「こういう状況でコメントが求められたときはこう答えるべきであろう」という模範解答が制作者にも出演者にも視聴者にもなんとなく共有されていて、その通りの予定調和のコメントに「げぇ、」と思う。(テレビはあと、情報を得るために拘束されなければならない時間が長いから好きじゃない。)可能性なんてのは何かを選ぶ前段階のことだからいつかはどちらかを選択しなきゃならないんだけど、それまでの猶予みたいな甘いの、が大好き
4日か5日くらいずっと家にこもってる。"誰か"を求めてSNSを徘徊しても、要求に応えるためにそこに他人がいるわけじゃないね。摂食と睡眠が過多。実りが無い。