「私はとても幸せです。」

京都へ行くのはやめにした。いついつからどこどこへ出かけます、と人に言い散らしてから行くのは、一人で出かけるには重過ぎる。
最近の事。マームとジプシーの『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』を三鷹市芸術文化センターへ観に行った。快快の『りんご』も「『りんご』に向けての声明文」を読んで興味を持ったので明日観に行く。東京では"Pop Underground Showcase 2012"という面白いイベントが連日行われているけど、両想い管打団!の公演しか行かないつもり。ライブに行かないようにしても演劇だったり映画だったりフィルムを現像したり喫茶店へ行ったり本を買ったり友人と会ったり、何かしらでお金を落としてしまう。じっとしていられない人だなと呆れる。
ジャン・ルノワールの映画「ゲームの規則」。題名の由来について、ルノワールは"ひとが社会生活のなかで、おしつぶされまいとするかぎり、守らなければならない規則"と言い、トリュフォーは"愛の誠実さに関する規則"だと言ったそうだ。(早稲田松竹のHPより引用) 川上未映子氏の「すべて真夜中の恋人たち」をこの間読み終えたけれど、私はあれは単なる恋愛小説だとは思えなくて、まぎれもない純な恋愛感情の描写が大きく組み込まれているんだけど、恋愛以外での主人公を取り巻く状況や関係のエグさに、気をとられている。小説のラストで"人と関わっていくうえで言わない方がいいこと"、ちょっと異なるのは承知しているけれど上で話しているような"規則"を破るようなこと、を互いに言ってしまっても関係を途絶えさせないでいられるのはきっとあれが友情関係だからで、恋愛はあんな衝撃よりも小さな、なんでもないように思える嘘でさえ崩れてしまうのだ。私自身、「あなたをみてると、いらいらするのよ」と同じような台詞を過去に幾度か言われたことがあるので、結構しんどい部分もあった。 J・D・サリンジャー著、鈴木武樹完訳「フラニーとズーイ」を読んだ。エゴについてそこで書かれていることを事前に知っていて読んだのだけれど、多分私は、自らのエゴについてあれこれ考えるところの域に達しておらず、そこに自分を重ね合わせることはなかった。それよりも私が救われたのは傍点を付されたこの台詞、「おまえの知ったことじゃないじゃないか」。 嫌悪の念を向けられたこと。今でも思い返すことはこわいけれど、謙虚に受け入れるしかないのだろう。それに自分を守ることも必要なのだと思う。ようやく忘れた頃に思い返して自分をぐさぐさと追い込むのが悪いクセで、それゆえ感傷的になることもしばしばあるけれどなり過ぎるのはよくない、世の中すべての人間が自分を拒絶している、と思い込むこともあるが、それは自分をきっと肯定して受け入れてくれているだろう人を否定することになってしまうし、それはとても申し訳なく、悲しいことだ。私は昔に比べてそれに気付くことができるようになってきたし、そうしてくれる人達を大切にしたいと思っている。大切にしたいひとやものは、手放さないようにする努力が必要なのだ。
つらいおもいっていったい"誰"がするの?
ちくま学芸文庫の「デュシャンは語る」読了、2度目。やっぱりこの人、私にとって面白すぎるので大好き。デュシャンにかぶれすぎて、骨董品屋で見つけた自転車の車輪が部屋に欲しくてたまらない。 今度大相撲を枡席から観に行くので、新聞で前日の取組の結果をチェックしたり夕方家にいるときはテレビでやってる中継を見たりしている。推しメン、みたいなノリで呼んでる私の"推し力士"は白鵬、あのつややかな肌に一度触ってみたい。ブログを見て好感を抱いていた琴欧州が今場所休場してしまったので悲しい。彼の近頃の記事で一番お気に入りなのはこれ。相撲については知らないことだらけなので、周りにいる年上の方々にたくさん教えてもらえて楽しい。 三鷹のフォスフォレッセンスというカフェ兼古本屋に行って、本を4冊も買った。「フォスフォレッセンス」とは太宰治の短編のタイトルで、私もすごく好きな一作なので三鷹駅から30分も歩いて向かった。店内に小さな喫茶スペースがあったので、山川直人「コーヒーもう一杯 2」を読みながらブレンドをいただく。とてもすっきりとした味で、まるで透明だったかと思った。