『エーテル』

「って、このとき、そう思った」って、私も言いたいなって、思ってた。わっしょいハウス『ether エーテル』公演を観て。

「何か起こりそうで結局何も起こらない雰囲気」と、劇場の席に置いてあったパンフレットに書かれていたため、"何か起こりそうで何も起こらない"演劇を期待して観る。そしてまあ、その通りで劇的な展開はなかったのだけれど。まず、この事実自体が変な感じ。何かを鑑賞するのに何も起こらないことを期待しているなんて。
あるひとつの話を、語っているのが主観なのか客観なのか、そこにいる人に話しかけているのかいなかった人に説明しているのか、今のことなのか過去のことなのか、現実のことなのか夢のことなのか、視点と時間と空間がころころと入れ替わって、それが"何も起こらない"ことをおもしろくしていた、だれずに最後まで見せていた。演じる空間は出口も入口も無いひとつのスペースのみで、小さなおもちゃのようなぬいぐるみのようなものが4つ置かれることによって、部屋になったり道路になったりする。一場面の登場人物はその四角く区切られた部屋の中にいて、登場しない人物は壁にもたれかかってその場面を静かに見物している。
「って、このとき、そう思った」ってそのとき言わなかったこと・言えなかったことをその人の目の前で言っててさあ、私はすっごくうらやましかったよ、そうやって伝えたかったことたくさんあるもの。「あの人には直接言わなかったけどさあ、」っていう話を、同じ空間であの人の目の前で話していて、話題にされている人がなんとなくリアクションを返しているのが変てこで面白かった。愚痴を話されて、あからさまに不服の表情を見せる、とか。
一番のお気に入りのシーンは、4人で花火をしに公園へ出かけて、去年のしけった打ち上げ花火に火をつけて、打ち上がるのを待ってる瞬間、あれ 最高だったなあ!あのもどかしい空気って実際にもあって、でも現実以上に濃く感じた。なにかを起こるのを無言で待ってて、でも何も起こらなくてちょっと気まずい感じ、会話がふいに途切れた瞬間みたいな。
シェアハウスをしてる人達の話で、部屋着の雰囲気があふれてる気の抜けた自然体の演技も、見てておもしろかった。人前であんなだらけた風に寝転がったことここ何年も無かったわあ、と思いながら見てた。
「あ、そうなんだ」って相槌がどの人も多くて、しかもそれが妙に宙に浮いて目立ってた。観客の視点から見てれば「ああ、この人はこういう考え方をする人で、だからこういう発言するんだな」って納得できるけど、連発される「あ、そうなんですか」っていう雑な返事からはお互いが全然わかりあってない・わかろうとしてないことがよく見える。でも、普段よく言うんだよねえこの相槌。
登場人物のみんながよく喋るしよく説明していて、上に書いたみたいに過去のその場面に考えていたこととかいなかった人に向けての状況説明とかその人の前では言えなかったこととかいろんなことを平然と話している。でもなんでも話してるわけじゃなくて、たくさん話している分、話されないこと、言葉にされない気持ちがぐっと際立っていた。それは特に好意において。恋愛感情がいくつか生まれていたけど(でも劇中では特に何の進展も無い)、それは決して言葉にされずに、そのかわり、演技によって醸されていた。
「夏の終わり」っぽさを全面に押し出した芝居、「何か起こりそうで結局何も起こらな」かった夏が終わるとき。「秋が、来るねえ。」というのが劇の一番最後の台詞で、これを言いたかったがためのすべての演技だったともいえるんだけど、それが言葉にされると素晴らしく白々しくて、言葉の貧弱さ、みたいなものを感じさせてくれたのもよかった。
エーテル、私はマンタみたいな形の、透明なクラゲみたいな質感のいきものだと思っているよ。

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わっしょいハウス」という劇団に関する何の知識もなくて、人が話題にあげてたから観に行ってみたんだけれど、とても面白かった。桜庭役の男の人の身体の動きが好きだった。演劇って面白いのねえ、そんで今の音楽のインディーシーンと同じくらい面白いことをやる人がたくさんいて、散らばってるんだねえ。目の前で演じてるのを見るのがいいよねえ。もうちょっと観ていきたいなと思ってる。
私がひとつ気に入らないのはねえ、演劇の公演のチラシ。俳優と女優が"役者っぽい顔をして、役者っぽいポージングで"写真におさまっていて、なにかひとつ"演劇っぽいキャッチコピー"が書かれている。これがスタンダードなチラシのスタイルになってるんだろうというのはわかるんだけど、ダサイ。私がここ1年のうちで観た公演はこのスタイルのチラシは多分ひとつもなくて、やっぱり王道ではなく変なところから足を踏み入れてるんだろなとは思う。
これは作品によるんだけれど、観た後に自分が話すことばや無意識にする仕草が全部"意識的に"行われてる演技のように感じることがあって、面白いような、不愉快なような。観劇後だけに、感じる違和感。この『エーテル』の観賞後はそうだった。友人と新宿駅へ歩いて帰る時の、自分の動作や台詞がぎこちなかった。