『現在地』

4月に観てきた チェルフィッチュ『現在地』@KAAT 神奈川芸術劇場 の感想を少しだけ記しておきたいと思う。もう過去の気持ちになってしまっているので、観てきた日の深夜にまとめたメモを参照しながら。

フィクションだけど、これほどはないくらい、現実だった。そんな演劇だった。良かった/悪かったの次元ではないところで訴えかけてくること。多分誰もが感じていたこと。SFのような不思議な出来事が起きて、人々は日本ではなく「ムラ」に住んでいたけれど、でもそこで起きることや話されることは全部今現在、2011.3.11以後の、震災後の、2012年の日本だった。これほどまでに描写されるのは恐ろしい気がした。こわいと思った。「これのどこがフィクションだ、」と帰路につきながら私は怒ってばかりいた。
演劇を観たのはたったの2回目、しかも1度目は同じチェルフィッチュの「三月の5日間」なので上手い感想など言えないけれど、冒頭の、いちゃつくことで不穏な気持ちを無視しようとする恋人に嫌気がさす場面で、今の状況は「三月の5日間」とはまるで違うんだよ、ということを伝えていた気がする。今はもう、セックスなんてしてる場合じゃない。そこでこの作品から男が消えた。
CINRA.NETでの『現在地』についてのインタビュー(http://www.cinra.net/interview/2012/04/02/000001.php)で、「女性は負けても生きてていい」と岡田さんが言っていて、なるほど、と思った。たしかに、女って別に負けててもいいもんだと思う。男性の言葉や行動は女性よりはっきりと意志を示して、性格や人当たりは接する人を選ぶし、そのギャップは大きい。それに対して女性は、表裏の違いがあまり大きくないぶん、そこの揺らぎに残酷さを感じる。適当なことと真面目なことが同じくらいのウェイトを持って発言される。本気で思ってるのかそうでないのかよくわからないし、本人もよくわかってない。作品に帯びてた揺らぎは、キャストが全員女性だったから見えたのだと思った。
「死」すらも解決にならないと私は思った。のんきな台詞に、「そんなことを言ってる場合じゃないだろう」と怒った。平和なふりをするのも嘘だ。ムラに平和は戻らない。もはや平和ではない。暴かれてしまった不安がずっとつきまとう。
始めのほうで台詞によって明らかに示されたひとつの主題、「ひとつの噂を信じるのか信じないのか、何をもってそうするのか、自分と違う噂との接し方をする人とどう接するのか。」作品の結末も曖昧なまま、噂によって幕が閉じられる。あの結末は、あなたはどちらを信じますか?そしてどう行動しますか?ということなのだろうか、あれは"フィクション"だったけれど、「現実もつまりそういうこと」だ。私は選択を迫られた時点で「なんで選ばなきゃならないの!」と逆ギレしたくなってしまうのだけれど、でも物事は選ばなければならないのだ、自分で、人に説明できる理由をもって。すべてを肯定しようとする人は「きれいごと」を言うなと責められていた。すべてを受け入れられるように「なりたい」と思う、でもそうなれる前の今「何かを思っている」はずだと、本音を話す人達はそう考える。「何かを信じることは歪むことだ」と思っている、何かを選択したりそれによって信じたりすることは他の何かを排除することになって、互いに理解しあえない。劇中の誰も、理解しあうことに成功していなかった。わかるけどわかりあえない。じゃあ、何を目指すのだろうか?
公式パンフレットのインタビューで、原発問題、「これによって人々がバラバラになったと僕が思っている、ということは表れると思います」と話していた通り、あの劇中ではそれがあからさまに、ありありと暴かれていた。現実に起こっていること。デリケートな話題となっているし、皆過敏に反応する。これが作り話/物語/フィクションだからこそ、多くの人に観てもらえて、誰にでもあてはまる普遍性があり現実味があった。フィクションでなければ、これほどまでに「リアル」に感じなかっただろうと思う。フィクション/物語の普遍性の強さを感じた。
救いなのはあれが現実ではなくてフィクションだってことだ。人々は、バラバラにならないかもしれない。

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提示されたものは、現実と、「どう思う?」という疑問形で、私は未だに決められない。どうすればいいのかわからない。平和は戻らなくても生活は続くのだ。私が思ったことなんてきっと誰もが感じたことなのだろうと思う。この作品を観た友人と感想を話し合いたいと思っていたけれど、実現せずに時間が経ってしまいそうだ。凄いものを見たのだ。
KAATの大スタジオでは、上演中は電波抑制装置が働くようになっていたそうだ。電波から守られた、現実と遮断された空間でフィクションに投影された現実を見ていた。変なの。その事実がまず面白いと思った。客席に置いてあったパンフレットの束がすごく分厚くて、冊子でも入ってるのかな?と思ったらその全部が演劇のチラシだった。ちょっとびっくりした。これからまた少しずつでも、演劇に触れていきたいと思っている。