終わりを知っている笑顔がこわい。今しかないこのときをめいっぱい楽しんでやろう、と思っているのが素直に顔に出ていて、その場で爆発してしまいそうなほど陽のエネルギーが溢れて、死ぬほど楽しそうな顔をしている。その笑顔は残酷だった。続けていく人の顔とは違う。ステージを見ていてそう思った。サークルの引退ライブでの私もきっとそんな表情をしていたんだろう、最後だったから楽しかったから。死ぬことがわかっている人もそういう顔とかしそうだなと思った。
ずっと昔に、BUMP OF CHICKENがラジオに出演していたときに、彼らの「ダンデライオン」という曲だけが好きなリスナーの話をしていた。そのとき彼らがどういう反応を返していたか覚えていないけれど、アーティストの音楽をまるっと好きになるのではない、そういう聞き方もありなのかあ、と思ったのを覚えている。よしむらひらくの「春」という曲が好きです。初めて目の前で再生されたときの感動、忘れることができない。それ以外の曲はほとんど知らない。でもぜひ一度聞いてみたい、と思ってよしむらひらくのレコ発ライブを観に下北沢SHELTERへ行ってきた。
よしむらひらくさんの声は金属弦がびりびりと振動しているようだ。それが耳の奥まで響いて共振して、聞くのをやめようとして耳を塞いでも、その質感が耳に残って消えないだろうと思う。唯一知っていた「春」「海の見える街」を聴けてうれしかった。多分、私にとって、生活のそばで聴く音楽ではないけれど、また、ライブを見に行きたいな、と思った。
「音楽の神様」というモノがいるとしたら、それってどういう風に存在しているんだろう。本当にその神様を信じているわけではなくて、7割くらいは比喩的な表現として、そういう素晴らしい瞬間のことを指し示したいのだけれど、それはどういう風に現実の音楽に対してたわむれてくれるのだろう。