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「殺してやる」という思考が頭から離れず、思い出すと苦しいです。 でも、私はその言葉の内包する感情や重みに満足しているだけだとも思います。憎しみでも好意でもなんでも、表現されない限りは(おそらく)伝わらないので、それはすごく救われる事実だなあと近頃は思います。言葉というフィルターを通すことによって、思いは確実に色褪せるものです。それによってわかりあえるようにもなっているけれど、結局自分のことは自分しかわかってくれない、とも思います。罪を負うのは軽い口のみ。しかし、いつまでも自分の頭の中が物騒なのは自分でいたたまれない気持ちになります。