「僕らが欲しいのは救いであって 決して予定調和ではなかったんだ」

雪の降る中、珈琲の瀬戸内海に溺れて死にたい。朝起きたときの絶望感。自己否定と世界を恨むことばかりしています。自己否定なんてね、非生産的であって、やめれるもんならやめたいね。改善しなきゃいけないところばかり提示されて、その通りなんだけど、それは現在の自分を否定されているようで、いやもちろん肯定されるべき私なんていないのだけれど、悲しい。
私が「誰か、」と声をかけてみてもほとんどの人が応えてくれず、不特定人物にあてられた自分の声だけが虚しく響いているような気がする。会話がうまくできないときは私の声は空間をつるつると滑っていく感じがする。誰にも会いたくないけど誰かに会いたくて、でもその誰かって誰。誘える状態になく、でも寂しい気がして、感情は整理されずまとまらず、そうだとおもった思った途端いや違う、と否定したくなる。誰にも頼りたくない。
どこにも行きたくない私は私らしくないと、思った。常にどこかへ行きたい、欲望まみれで生きてるけど、それ以外に理由もない。世界なんてどうでもいいことばかりだと思うのよ。死にたいと思っても、自分自身を殺めることはなかなか難しいことでした。
ここでこうやってくだらないことばかり話す私は日常生活の私とはある程度乖離していて、このブログなんかは親しい人間にはまったく教えたくないなー、と思う。いくつもの場所にいくつもの私がいるのは当たり前でみんなそうなんだけど、それが自分の中でも一致しない。不自然な感じがしている。
出会えてよかったね、と言いたいと、冷静になったときは思えたけれど、いつもは到底そんな風には思えない。どうでもいいものにさえすがりそうな気持ち。