青色と金色

忘れたくない。私はほとんど何でもすぐに忘れてしまうから、都合の悪いことはなかったことのように、覚えておきたいことも断片的にしか、覚えていられないからこうやって書いておくの。全部自己満足で、誰かに何かを伝えようとしたことってない。わかりあうことなんて諦めている。でも私の文章が好かれたり気に入られたりするのは好きだし嬉しい。twitterについて考えてみたときに、個人的な考えも人に読まれてこそ意味があるのかなあ、とも思えてきたのです。でも知人の前でネガティブな発言をするのは苦手だし大嫌いです。そんなことはしたくない。最近は自分がどんどん嫌いになってゆきます。生活にしか考えが及ばない自分に嫌気がさす。以前どうやって生きてきたのかなんていつもわからない。私の頭の中には2人の異なった考え方があって、理性のような諦めの固まりは、自らが楽しむことすら蔑むよ。後から振り返ってみると何だってすべて馬鹿げていると思う。でもその瞬間は楽しむことができるのが、私の都合のいい部分だと思う。3つ以上の事柄が重なるだけで逃げてしまいたくなるしとても苦しくなる。弱い自分もいい加減にしろよと思う。もっとまともな、ましな人間になりたかった。私には足りないもの欠けているものがたくさんあるよ。このままで生きていける世界が苦しい。しんどい、と思うことが増える。労働も苦しくなってきた。1人でいる時間がいけないの?でも好きな人以外は興味が無いし遊びたいとも思わない。つまり何が言いたいのか自分でもよくわからない。1通のメールを送るか送らないかを、ずっと悩んでいる。憧れに手を伸ばしてもいいの?