明るくなった おやすみの時間だ

もっともっと透明になりたいと思う。「透明な態度が染みついているのかな」と云われた、よくないことなのかもしれないけれど、それ以外にとりたい態度も無いんだ。浅くて愚かな自分が見えないように、見えないように、隠すためにさ。「スポンジのようだ」といわれたこともある、なんでも吸収しそうで、ふわふわしていて、そうだよ、それでぎゅって絞ったらもうなにも残らないんだ。正解。 今日も喋りすぎた。喋ることに慣れてしまっている。どうでもいいことばかり喋っている。例えば4月の頃のように、言葉はもっと慎重に選ばなければだめだ。人と人とを恐れなきゃだめだ。自分を否定しないと肯定できないようだ。
「L'Eau froide」を観てきた。映像が美しかった。ヒロインの女の子がかわいかった。最初はなかなかのめりこむことができなかったけど(まあ私はいつもそうだ)、終わったあとに余韻が残るいい映画だった。観にいってよかった。明日までやってるよ。 16歳、という年齢に若さを感じた。私はもう持っていないもの。親への抵抗と素直な服従。自分のことでないような、まったく無責任な行動。危険なやりとり。もろさ。はかなさ。そういうのがあった。それは失われていくものだ。体温を求める彼女を 見ていて苦しくなった。バウスシアターならではの爆音が映画をいっそう魅力的にした。彼女にはもう二度と会えない気がした。
映画に出てくるような女の子に憧れる。例えば「式日」や「ジョゼと虎と魚たち」の女の子とか。ああいう女の子に出会いたい。繊細な女の子に出会いたい。私はいつも世俗的でないものを求めているんだと思う。私は成れない。映画を観るたび、細かいことをいちいち気にして生きている自分が嫌になる。ためしにめがねをはずして歩いてみたら、ちょうどよかった。視力が悪すぎて極度に見えなくなるのが難点だけれど...執着せずに生きていきたいのです。そうやって暮らしてみることにするよ。
喋りすぎか... いや、人が少ない場所だからいいんじゃないかと思うんだ。なんて、それでもこうやって誰かに知ってほしいなんてさ、愚かなことなんだ。でも某SNSでないだけましさ。意図的に無差別に救いを求めるなんてくだらないと思っている。心からね。そう繰り返している。私はいたって普通の人間様です。