恋は朝に

他人に話す必要もないつまらないことに1人でずっと悩んでいる。何かひとつの事柄について「考える」という行為が苦手。
サークルの新歓を横目に見ていて、もう3年も前かあ、と思って愕然とした。でも、経ってしまった時間の割に、その頃の記憶と今の自分は遠くない。大学に入るまでの記憶はあまり鮮明でない。別にそんなに思い出したくもない。思い出せないのは寂しいけれど。でも、大学に入ってからの思い出は消したくないなあと思う。いつまでもいつまでもとっておきたい。電車の中で群れる新・女子大生達を見て、「汚れっちまった悲しみに…」とか考えてた。18歳だった私は彼氏もいなかったしお酒もほとんど飲んだことなかったし煙草なんて吸おうとも思わなかった。スカートなんて滅多にはかなくてバンドTばかり着ていた。でもいじらしく茶髪にしたりパーマかけたりしたなあ。懐かしさが恐ろしい。
たくさんの犬を見たい。犬にもそれぞれ異なった顔があるのだと思う。就職活動をしていると「世の中にはこんなにも自分の見たこともない顔があるんだなあ」と思う。スーツという姿に統一されることに抵抗感を持つ人もいるけれど、私はみな同じ格好をしているほうがその人の個性が際立っていいと思う。その人の一挙手一投足、顔かたち、話す言葉、すべてから、20数年間によって形作られたその人らしさはにじみ出ると思う。その価値を量られている。ヒールの靴は疲労の形をしている。晴れた休日、お酒を飲みながら代々木公園で、ドッグランを眺めながらシャボン玉を飛ばしたい。名案でしょ。
考えることが苦手だけれどそれなりにやってきた。あまり後悔はない。それにどれを選んだって結局は同じようなものだったと思う。(もちろん大切なものは大切だけれど。)だから、すべてはそれなりなのだ。理由を言語化しない。明確な理由がないと言葉に説得力がないね。自分と向き合う以前に、向き合うことと向き合うのが苦痛でならない。就活なんてくそくらえで国外へ逃亡したいなあとぼんやりと考えます。いつかは向き合わなければならないのに、いつまでも逃げ続けるだけか。
もう何言ってもむなしい。自分だけの問題で、人に介入してもらいたくない問題というのはある。他人にもそういうことがある。性格とか考え方とか、日々の生活の些細なこととか、家族や恋人のこととか。自分でも立ち入りを拒むのだから、他人に対して自分がその領域へ及ばないことに関して悲しむ必要はないはずだけれど、悲しいと感じている。これはきっとエゴなのだろう。人からもらう言葉が影響を与えてくれることもしばしばある。私の言葉は、ほとんどどれも軽くてへらへらしていて悲しい。
恋なんてするもんじゃない。花束をもらって延々と花占いをしたい気分。平賀さち枝「恋は朝に」を何度も聴いてる。口ずさむたび、自分が彼女のように綺麗な声で歌えないことに落ち込む。かわいらしくないのに恋なんかしていていいのか!

タクシードライバー」を観た。男の人の自意識に深く触れた気がして恥ずかしかった。素晴らしい映画だった。長い間人々に愛されてきた作品達に、もっと触れたい。
引き出しを開けて、前に身につけていた下着がすごくかわいくなかったことに気付いて、落ち込んだ。
数日前、東直子さんの歌集「愛を想う」を黙読、ときに音読した。短歌を詠む声って不思議なトーンで響く。雪舟えまさんの歌もそう。声に出して読むのは恥ずかしい気もするけれど、その分じわりと染み込む気がする。お気に入りの歌を紹介します。1日に2・3度は思い出す。
「どんな未来もあなたに会えるためだから今は瞳を閉じて待つだけ」