coffee

苦しかった。私の底にあるのは人間っぽさ、俗っぽさが嫌いだということ。人らしい温かいことにほっとすることもあるのだけれど、それでも基本的には否定をしたがっている。作品に昇華されたものを生活に戻って解いていくことにあまり興味を持たないし、他人にもそれほど関心が無い。映画「式日」を好きな理由は、生活を拒否する彼女の態度が好きだからなのかなと思った。私には今まで生きてきた中での経験というものがきっと足りなくて、だから何にも持たないんだと思う。普段から、物事を考えない。そのとき感じたことを大切にしたがって、でもすぐ忘れる。考えないことは良くないことだろうか。少なくとも大学のレポートや論文には自分の考えが求められるもので、だからそれがすごく苦手です。暴かれるのが恐い。自分の意見を言えなくて苦しい思いをした。私にも言いたいことがあるようで、でも相手は話し続けるので途中で話の腰を折るような真似はしたくなかった、頭の中で反芻していないと自分が言いたいことすらすぐ霞んでしまうので何度も繰り返していると、聞きたい相手の話の内容も理解できなくなって、もどかしくて苦しかった。今の私には薄い過去の中でも築かれてきた自分の理由があるみたいです。でもそれは全部言い訳のようになってしまってみっともない。此処でしか正直に言えないなんて弱い。生身の私自身を好きと言われるより、私の言葉や文字が好きと言われるほうが嬉しくて心に残る。