真夏日

ほんとうに、まるで、熱にうかされたように、そのことばかり、考えている。きっかけはわかるけれど、はじまりがどこだったか思い出せない。理由が見つからなくて興味だけ強くある。まるで恋だ。会社で鼻歌歌いだすくらい。わたしのわたしが信頼ならない点がいくつかあって、ひとつは熱しやすく冷めやすいこと。なにかを2年以上続けることに自信が無い。この熱っていつまで続くんだろ、と少し冷めた視線を浴びせる自分がいる。ふたつめは人に頼り切ってしまう姿勢があって、それをどう振り切って独り立ちするのか、ということ。都合のいいことをよく考えるので、いやそうでなくまず自分一人で行動しようよ、と戒める。
それにしても、この前の日曜日のことを思い出すとどきどきわくわくするし、いよいよYoutubeを漁りだすし、部屋でステップを踏み出すし、夏の計画を立て始める。8年前の日記、「⚪︎⚪︎⚪︎がこわい」とわたしは書いていて、ほんのうっすらとだけれどその気持ちはわからなくなくて、いつも何かを卒業するたびそのコミュニティーから足を洗うようなつもりできたので、地元では知り合いと会うから嫌で、ずっと避けていた。実家はあるけれど周りとの付き合いってほとんどないし、そういうの、もっといえば人間としての営みに対して、面倒くさいしダサいし格好悪いし嫌いだと思っていた。なのにそういうものが生み出す文化をまさに好きになりそうな自分がいて、矛盾する気持ちはまだ折り合いがつかない。いつも自信がないからなにか軽蔑するような気持ちでいるんだろう。それをどこかへやってしまいたいわけでもなく、どこかへいってもくれないし、とりあえずよそに置いておくことはできるけど、どうしたものやら、未だ扱いに困っている。東京を選び続ける意味や理由をまた問われる。あとはその突如現れたかのように思われるそれが、自分が今までしてきたことを振り替えるとまったく違和感なく、延長線上にあるように思えるのが不思議だ。内包する様々な要素が点と点を結んでいくので、必然のようなものを感じてすらいる。好きならやればいいし、いやならやめればいいし、余生だし自由だよ。 盆踊りの話でした。

柴田聡子のNEWアルバム『愛の休日』が素晴らしく、頭の中が柴田聡子節と白鳥踊り節で楽しそうな感じ。「忘れたい」の歌詞がいちばん好き。
それと小沢健二のアルバム『刹那』をちょっと前に初めて聴いて、TSUTAYAへCDを返す前にiTunesに歌詞全曲をベタ打ちするという、中高生みたいなことをしていた(好きな歌詞をノートに丸写しする、みたいなさ)。「さよならなんて云えないよ(美しさ)」、「強い気持ち・強い愛」の終わり、声に出して歌うと涙が出そうで喉がグッと詰まる。残酷で美しくて、この詩が生み落とされてそれに出会えてよかったと、思う。好きな歌は生活に感情を取り戻してくれ、結構本気で生かされてるなあと思う日々です。