そこへ行くはずだったのに

毎日死にたいと思っている。駅から家に帰る間あ〜死にたいはやく死んでしまいたいと毎日思っている。そう思わなかった日もあったはずだけど底辺にいる間はどうも思い出せない。そもそも思い通りにいかない日々とか情けない日々、疲れ切って出口のない日々に対して死にたいと思うだけ、具体的な手段や道筋でなくただそれしか思えない逃げの思考が情けないしそれなりの年数を生きてきた人間としてその思考の癖はどうなのかとも思っている。わかっている。今年の七夕の願いは「なるべく早くなるべく自然な形でこの人生を終えられますように」ということにしよう。かなしいけどたまには終わりの形を願うのもよいだろう。ほかはだいたい叶っている。

うじうじと悩んでも寝て忘れるし起きればまた思い出すだけなので、周りに相談しても答えがないことも明らかだし、さっさとその準備をしよう、終活を。顔の見えない相手との未来のための資金を蓄えるよりてめぇの人生をてめぇの金と責任で終えられるように準備と段取りを。資産の整理や遺品の始末、葬式の手配とかエンディングノートを書いておくとか、できれば法的に認められる遺書も準備したい。

と、いうところまで毎度考えて、それを実行するのが面倒でベッドに横たわりながら価値のない時間を過ごして、1日が終わる。それが繰り返す。そこは出ないと明るく振り返ることができない。 生きていることが前提で成り立っているすべてなので、生きていれば、鳥肌が立つほど感動することや心動かされる面白いこともあるけれど、決して生きる理由にはならない。終わりがあることは救いで、終わりのことを考えるとほっとして安心する。

10年ももっと前からもわたしの考え方にはたいして成長がないでしょう。どうしようもないことばっかり書いては公開して。まったく仕方ないですね。勝手にはてなブログに切り替わっていた。