いつからそれを始めたか

過去の旅行記が面白いと思ったので転記。
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2015/08/17 22:55
池の水の落ちる音を聞いてる。ときおり蝉が窓にぶつかる音がする。
誰かが私について想っているかどうかをLINEなどの文字・表象に頼ってよいかどうか。ひとりの時間、ぼんやりとしている時間、想いにふける時間が長いほどその人のことをよく思い出してしまう。恋とはエゴであり心の暴走なのだとわかっているのに。所有欲が大きくなく、でもその人のことを想うと舞い上がる気持ち。
近くの露天風呂へ行った。天井は木造で、空も外も見えなかったけれど外気温と、鈴虫の鳴き声がする。何より露天は最高なのだった。最高、至高と思いながら浸かる湯。
温泉に行きいろんな年代の女の裸を見ることは非常に感慨深い。個体差はあれど、一度は通ってきた身体、鏡に映る現在(いま)の身体、いつか訪れるであろう身体。過去を想い来たる未来を想うよ。年を重ねてゆくことは何かを得たり失ったりすることだと漠然と考えていたけれど、もしかして"生まれてから死ぬまで1で有り続けてそれ以上も以下もないのではないか"、何かを失った分何かを得ていて、その逆も然り、増えたり減ったりすると思われたそれは、いつもイコールなのではないか、と思いつき、切なくて泣けてきて湯で顔を洗う。映りゆく水面のように切ない。通りすぎてきた発育途中のウブで曲線のゆるい。母としての。何十年も生きた器としての。裸も恥ずかしくなくなったし、浴場に持って入る白いタオルの扱い方も、数年前と比べるとましになったものだ。
男を知らなかった(知らない)裸ってきっとなんて素敵だろう、と。